2025/11/23
- みのる 実川

- 2025年11月23日
- 読了時間: 5分
なんか、人生で困っていたこと、悩んでいたこと、トラウマ、コンプレックスの全てがこの1ヶ月で解消されてしまいました。
まあものすごく簡単に言うと、まあ私はパチカスでギャンブル依存の後、うつ病を発症している父親(すげえ借金あって2回自己破産してるガチモンのカス)から情緒的ネグレクトを受けて育ち、アダルトチルドレンで父親に愛されて育たなかったことと、夫婦仲が円満な家庭環境ではなかったことにより、私は生まれてきてよかったのか分からず、自己肯定感が無く、いじめを期に高校1年の時からうつ病を発症し、今年に至るまで苦しんできたのですが、父親にこれまでの全ての鬱憤を泣きながら怒鳴り散らし、父親も怒鳴り返してきたが、概ね論破し、まあなんやかんや腹割って話して、お互い号泣しながら和解しました。
父親に「愛している」と言ってもらったし、父親の育成環境と思考のクセと認知の歪みを把握したので、まあこういう人格形成を50後半の男がしているのも仕方がないことか……と受け入れてしまいました。
これまでの言動から、全然伝わってないが、父は私を愛しているらしい。だったらもうそれでいいよ。私はその言葉を信じようと思いました。
父の痛みと私の痛みは似ている。
でも私は母にとても愛されて育ったので、その一点の違いで反面教師というスキルを手に入れることができているのだな……と思いました。周囲の大人が、親戚周りは割と終わっているのですが、学業の方面とインターネットの方面でかなり恵まれていたのと、読書が好きだったので、様々な良いモデルケースを観測することができ、私はその人達のお陰でこの人格を獲得できていることを自覚しました。
文字が好きなのは、幼少から毎日絵本の読み聞かせをしてくれたお母さんの功績です。
まあ普通に父親に対してこれから態度を改善しろやと思っておりますが、あれだけこじらせてたら、まあ、難しいだろうなと思います。
恐らく更年期障害由来の鬱を患っているので、彼に必要なのは泌尿器科とカウンセリングを丁寧に行ってくれる病院です。とりあえず病院に連れて行こうと思います。
母には今回の父とのやり取りを報告しましたが、まあ、パチカス育児放棄モラハラ他責男からされてきたこれまでの仕打ちを彼女が許せるはずもなく、離婚するなら離婚するでその意志は尊重しようと思います。母にはこれから先の人生幸せになってほしいし。
私は私の家庭の形が変わっても、別に特に何も思うことはありません。元々壊れてたものがどう変わろうが、別に……といった感じだからです。
それに私はこれから先、自分の家庭をもって、同じことを繰り返さないように人を愛することができる。どうしたら間違えるかを知っているし、間違えた時にリカバリができるくらいの知能はあるから。
まあそんなこんなで、私はこれまでの苦しさの全てが精算されてしまいました。
なんにもやりたいことがない。
ここ2年で私は、不特定多数の他者からの承認をまあ別にあってもなくても良いな……と思えるところまで来てしまった。
薬の副作用で想像力が一切なくなり創作活動ができなくなっても、自分が生産的で有用な人間でなくても、母は無条件に私を愛してくれていて、インターネットの友人たちはみんな私に変わらず優しかったから。私は何もできなくても生きていて良い。そう思えている。
自分の気に入っている人が、自分のこと好いてくれてたらそれで満足だし、いっぱいの有象無象に承認を受けても、私が死ぬほど欲しかったのはたった一つ父親からの愛情だったので、それが満たされた今もうなにも欲しいものがありません。
代用品で自分を満たそうとしていたら、ずっとうまく行かないのは当たり前だなと思いました。私は本物の愛を得たので、傷跡は残ったままだけれど、これからその傷がまた開いて膿むことはないでしょう。幸運なことに私は私の人生の命題を解き終わってしまいました。
これからなにかしたいことがあるとすれば、勉強かなあ……と思います。10代を鬱の脳で過ごしたので、活字が読めず記憶力も悪くてまともに勉強ができませんでした。私が鬱にならなければそこそこの大学でなにかの専門分野を学べていただろうな……とIFの世界の私を羨ましがってしまいます。お金をためて、どこか学びたいことを学べる大学を受験したり、放送大学にはいるのもありかもしれない……と思っています。でも学歴は別に一応大学卒業してるので、そこまでコンプはないんですよね。肩書に特に固執はしていない。
興味のある分野は心理学なので、そっち方面の勉強をしたいな。学校に行けなくても、もっと沢山の本を読みたいです。独学ができないほど頭悪くないので。
沢山の知識を保有して、自分の意見がある人間は格好いいと思うので、聡明な人になりたいです。生涯勉強だなと思うし。
創作の方は、なんかやる理由が特になくなってしまったのですが、私は自分の努力で確実にうまくなって達成感を得ることができる事象が好きすぎるので、やめることはないだろうと思っています。これまでの経験をなにかの物語に昇華してもいいし、それで誰かになにかの影響を及ぼせたら素敵だなと思います。ゆっくり色々作りたいですね。やりたいことというか、ライフワークというか、生活の一部なので。息をするのに理由は必要ないでしょう。
私は今幸せです。満たされています。これから私がまた鬱になる時は親しい人が死ぬか、自分が大病を患うか、半身不随や失明などの身体障害を負うか、他人から物凄い悪意を持って攻撃されるとかじゃないのかなと思います。
でも多分人間由来のことでは、簡単なことでへこたれないと思う。悪意を持った人間がどうしてそういう思考に至っているのかという、背景事情を考察することができるから。理由を知ったからと言って許しはしないが、納得はできる。私はそれで傷つかない。観察をしているから。
私は自他の境界がはっきりと引けるようになったし。自分の痛みを他人に押し付けてはいけないし、他人の痛みを自分事にしてもいけないことを理解している。他人の自他の境界がゆるくなっている時は、はっきりと指摘できるだろうし、私は今の私に自信があるので、失礼な行いや不誠実な対応にきちんと怒りを表明できると思います。
これから私の人生はきっとうまくいくでしょう。
私は私がどういうふうに過ごしていると幸せなのかを知っているから。

