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2025/10/04

  • 執筆者の写真: みのる 実川
    みのる 実川
  • 2025年10月4日
  • 読了時間: 7分

キタニタツヤの Tour"CREPUSCULAR"2本目 岡山公演 に行ってきました。


セットリスト、MCの内容に触れます。

ネタバレが嫌な人は読まないでください。
























友達が遠方から開演ギリでやってくるのでそれに合わせて落ち合い、開演2分前に着席。席は2階席のドセンター。神席。真正面からステージを見渡せる感じですべての演出を余すこと無く見ることができました。美しかった。そして全公演撮影録画OK。アナウンスで嘘だろと思った。


友達からオペラグラスを借りたので、オペラグラスを使用するとキタニタツヤの表情がよく見えてすごかったです。縁のぼやけた円の中に光が溢れて、万華鏡を覗き込んでいるようだった。



曲の一発目から「ずうっといっしょ!」



一番最初に一番聞きたかった曲が回収できてしまったのでこの時点でもう終わってもよかった。本当にかっこよかった。


恥ずかしながら私はお友達に誘われてライブに来たので、キタニタツヤの曲を全曲さらっているような熱心なファンではなく、知っている曲があったりなかったりする中で、全部曲カッコいいな……と思いながら中盤まで聞いていました。

しかし、APDがあるので知らない曲は歌詞がところどころよくわかんなくて、何言ってるかわかんねえけどなんか良いことはわかる。みたいな状態でした。私多分知らないアーティストの現場とか行かないほうがいいと思う。音でしか曲を感じ取れねえ。


1回目のMC内容に触れます。


「今回のツアーにCREPUSCULARというタイトルをつけました。CREPUSCULARというのは、なんかこう、自分たちの生活でよくみられる天気なんですけど。分厚い雲がかかってる夕暮れ時とか朝方とかに、その雲の向こうからこう、合間を縫って漏れ出るように陽の光が差してくるっていう。その陽の光のことをcrepuscular raysっていうんです。それを僕は美しいなと思って、今回タイトルにツアーのコンセプトとして定めました」


中略


「自分の生活になにかがあるたびに、何らかの形で僕は音楽という形に、メディアに記録をしてきました。今回はそのなかでも僕が特に他者との関係が、どっかでこう、破局して、破綻して、一度孤独の中に苛まれるというか、という状況に陥ってじゃあその先に、僕はすねてみたり、開き直ってじゃあ俺は一人で生きるよというふうに思ってみたり、そういう経路を僕は歩んできているんですね。それをこう、自分の作ってきた音楽を眺めながらその経路を後から追うように、たどるようにセットリストを組んで、皆さんの前でしました。」


中略


「人は一人でも生きていけるだろうし、一人で完結して生きていければそれが一番強くて美しいじゃないかっていう偏った考えが自分の中にずっとあって、それはいまだにこの年になっても捨てきれない。捨てきれないんですけど…でも、その上でやっぱり、とはいえ、それこそCREPUSCULARみたいな、雲がかかった自分の心のうちの奥から光が差してくるような瞬間が人生の中でたまーにあって、手を差し伸べてくれる人がたまーにいて、そういう差し伸べられた手を取らなくて滅茶苦茶後悔したこととか、あと素直になってその手を取ってみて、人と歩んでみて、あ、なんか良かったな。これは自分の人生がプラスにころんだぞと思えるようになったこととか、やっぱりそういう経験はすごくたくさん持っているわけです。一人で居るという思想を捨てられないなりに。なのでやっぱり僕は人前に立つ人間として皆様の前では、例えばCREPUSCULARのような光がたまに差してきた瞬間に、その差し伸べられた手を臆せずに取ってほしいとか、その日向が現れたらそこにとどまることを、そこに向かって歩いていくことを恐れないでほしいということを言っていきたくて、今回はそういうライブです。なので、これから今ライブの半分近くが終わったんですけど、こっから時間をかけて、そういうことを皆さんにちょっとずつ聞いてもらえればなと思っています。あなたがたの、皆さんの日常生活、ひとつひとつ、そしてあなたの住む街にそういう何らかの陽の光のようなものが差すことを祈って演奏します」


もう私このMCに感動してしまって、本当に来てよかったと思いました。




で、このあとの「なくしもの」でスクリーンに写ってる風景が倉敷の風景なんですよ。倉敷の中心街と多分海辺の方も撮ってあって、なんて素敵な演出なんだろうと思いました。地元民でよかった。見慣れた風景がこんなにも、素敵に切り取られることがあるんだって……。


その次が「あなたのことをおしえて」で、最近ずっと聞いていたのでめっちゃ嬉しかったです。演出がかっこよかった……。


「私が明日死ぬなら」でキタニタツヤが声詰まって歌えなくなっちゃって、その瞬間から手拍子がわっと響いたの、ライブじゃないと感じ取れない一体感でよかった。パフォーマンスが完璧でなかったことに対する、本人のやってしまったみたいな気持ちもあるんだろうけど、でも私舞台に立つ人が感極まって声が出なくなる瞬間って好きなんですよね。それだけ曲に対して真摯に向き合って歌っているってことだから……。


で、そこから「青のすみか」にそのまま音がつながって……本当にそのつなぎがかっこよすぎて……鳥肌でした……。


最後までずっと最高の時間でした。夢を見ていたみたい。眩しかった。


最近ずっと気分が落ち込んでいて、私は誰とも心の深い場所で繋がれないし、孤独で、マジョリティの一員にはなれなくて、無理をしてその一員になろうとすれば壊れてしまうから、このまま生きていくしかない。ありのままの自分を愛そうなんていうけど、そんな事はできないし、私は私のことが大嫌い。ありのままの私を好いてもらうことなんてできなくて、そんなことを望むのは烏滸がましい。

最初から全部諦めてしまう事しかできないのがさみしくて、これが続くのならできるだけ早く死んでしまいたいな(いつもの希死念慮)と思っていたのですが、このライブを通してキタニタツヤが伝えたかったメッセージを音を通して全身に浴びて、もう少しだけ世界を諦めずに陽の光の差す場所を探して、逃げずにそこに向かいたいなと思いました。

美しい光景だった。あなたが私の光でした。



追記

仕事中ずっとCREPUSCULARのことを反芻しながら考えていたんだけど、キタニタツヤが薄明薄暮性をツアータイトルにしてMCで語った内容、セトリから、この人もまたずっと晴れた空の下をずっと歩いていると思っている人ではないのだなということに気が付きました。

私はまあ15歳の時にいじめられて不登校になってから、ずっと今までうつ病で、晴れてる日より嵐のような日のほうが多かったし、ずっと薄暗い分厚い雲の下で、雨に打たれながら生きてきました。最近やっと、晴れ間が覗くようになった。でもこれからずっと、晴れている空が見えるわけではないだろうと思っています。

だから、今の私に「CREPUSCULAR」が伝えたかったメッセージがまっすぐ心の奥に届いたのだろうなと。全部晴れるわけではない。でも天使の梯子が私を照らすこともたまーにある。その光を愛おしく思いながら、世界の美しさを抱きしめて生きていきたい。たくさんの呪いが私をがんじがらめにしても、光差す方を見つめ直したい。

曲が私に語りかけていると、私に向けてメッセージを向けていると感じたことがこれまであんまりなくて、曲に出てくる「みんな」に私は含まれていないし、ラブソングは私のためにあるわけじゃないと思ってた。だっていつも推しカプのイメソン探しながら聞いてるし。

でも「CREPUSCULAR」でセットリストの中にある曲のいくつかは、私を見つめているように思えた。錯覚でも良い。きっとたくさんのファンがこれは自分のための曲だと思いながら聞いていると思うし。でもそれが嬉しかったし、キタニタツヤというアーティストの音楽が心の底から好きになった。

嘘みたいに心のどんよりとした澱の部分が浄化されました。まだちょっと辛いこともあるけど、すごく生きる勇気をもらえた。本当に本当にCREPUSCULARを見れてよかった。一生の思い出になりました。どうかこの美しい感情たちを忘れませんように。


 
 

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