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2章 第1話 

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 異世界転移をして帰ってきたのが七月の中旬。
 それからしばらく補講があり、その間中休み時間の度に和勝に話しかけられ、食事に誘われ、なにかお礼をと言われ続けていた。それを振り切って夏休みに突入して、やれやれと思っていたのだが、やはり鳴るのはスマホの通知。
 正直鬱陶しかったので未読無視をしようと思ったが、和勝は偶然か何かなのかエミの好物を把握していて、「いちごパフェの凄い店に行かないか。勿論おごりで」と送ってきたのである。
 一人では到底食べきれない大きさのいちごパフェを食べてみるのは、エミのちょっとした夢だった。学校から帰ってきてまで付き合いをする友達はいなかったので、こういった店に食べに行くことは半ば諦めていたが、男の子の胃袋があればそれも叶うだろう。このチャンスを逃していいものか?
 エミはスマホの前で三十分うんうん唸り、一度お礼の気を済まさせてやれば、これ以上しつこく誘われることもないだろうと了承したのであった。
 
 実際の所行ってみて、普通に楽しかった。
 地元の観光地、美観地区にある喫茶店はお洒落でレトロな雰囲気が良かったし、とてつもなく大きいいちごパフェが目の前に出てくるのは壮観であった。インスタ映え的なものには興味がなかったし、自分のアカウントでさほど投稿もしていなかったが、流石に写真を撮るほどにはテンションが上った。いちごパフェは見た目通り美味しかったのだが、エミは三分の一ほど食べてリタイアしてしまった。しかし、残りは和勝がぺろりと平らげてくれたので問題ない。
「俺ばっか食べてるけど、これお礼になってる?」
 和勝が不安げな顔でそう聞いてくるので、エミは珍しくごきげんな顔で「いいんです。1人じゃ来られませんから」と言った。
 その顔を見て和勝は「ならいいんだけど……」と返したが、なんとなく納得のいっていないような表情だった。
 その後二人は美観地区を適当にぶらぶらしていた。白壁の街というからには、やはり江戸時代らしい雰囲気の蔵が立ち並んでいる。川には船が浮かんでおり、川べりに植えられた柳の木の葉がさらさらと風に吹かれてはいたが、7月の昼間はかなり暑い。炎天下である。
 二人はクーラーの効いている店舗にふらりと入った。店の半分に和小物が置かれていて、あと半分はジーンズを売っている店だった。倉敷といえばジーンズ産業が盛んなので、美観地区にはそういった店がとても多い。エミがアクセサリーが集められた一角で、ぱっと目についた赤いバレッタを眺めていると、横から和勝がやってきて覗き込んだ。
「欲しいの?」
「いえ、夏は暑いからまだ髪を下ろす気にはなれないなと」
「三つ編みじゃないときもあるんだ」
「冬は寒いから髪を下ろしていますよ」
「じゃあ冬につけてよ」
 エミが眺めていたバレッタをひょいと手に取ると、和勝はレジへと進んだ。
「ちょっと! 買わなくていいですから」
「別のが良かった?」
「そうじゃないですけど!」
「パフェほとんど俺が食っちゃったし、これもお礼の1つってことで」
 はい、とバレッタの入った紙袋を渡されてエミは渋々と受け取った。
 それからも和勝が美観地区に来るのは初めてだと言うので、いろいろな店を覗いてはぶらついていた。いくら地元とはいえ、そう頻繁に来る場所でもないので、いつの間にか新しい店舗が出来ているのを見たりして、エミにとっても中々楽しい時間だった。大原美術館にも、学生証を提示すれば無料で入館できたので、絵画を見て回ったりもした。ふたりとも美術にさほど造詣があるわけではないので、ふーんと言った感じだったが、それでも教科書で見たことのある絵画を実際に見れたのは面白かった。
 そうこうしていると十七時近くになり、この時間帯にもう閉まる店が多く、二人はそこで解散することにした。
「今日はありがとうございました」
「いや、こちらこそお礼できてよかった。気をつけて帰りなよ」
「和勝くんこそ」
 それからお互いにこれといって直接連絡を取り合うこともなく、月日は過ぎていた。グループラインで和勝が宿題の範囲を聞いていたり、クラスでプールに行かないかというのに反応しているのを見るに、彼は彼でクラスの友だちと楽しく夏休みを謳歌しているようだった。
 エミはというとクーラーの効いた部屋で自堕落な生活を送りつつ、家族で海へ行ったり、水族館に行ったり、ひまわり畑を見に行ったり、祖母の家に行ったりと、彼女なりに充実した夏を過ごしていた。家族と過ごす事が多かったが、いずれ大学生になって社会人になれば家族みんなで揃っていることも、出かけることも減っていくだろう。それを考えると悪くない夏の思い出だった。父も母もエミに優しく甘い。水族館で買ってもらった大きなシャチのぬいぐるみを抱いて、スマホをぽちぽちしたり、好きな漫画や小説を読み返したり、本当に何も起こらなくて平穏で最高の毎日だった。
 しかし、夏休みは終わるものなのである。
 宿題は夏休み序盤にすべて終わらせているし、休み明けの実力テストの対策も終わっている。昼夜逆転気味だった生活リズムもちゃんと直したし、休みが終わることを念頭に置いて行動をしていたとはいえ、学校が始まるのは面倒くさくて嫌だった。それでも時間というものは無慈悲である。

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