第13話
「和勝くん~!」
しばらくして、エミの呼ぶ声が聞こえた。
「はーい! 今行く!」
和勝が走って東屋に到着すると、緻密な魔法陣が床いっぱいに書かれていた。
「おまたせしました。これで準備は完了ですよ」
「よく書いたなこれ」
「エリュシュードにも手伝ってもらいましたから」
「エリュシュードさん、ありがとうございます」
和勝が深々と頭を下げお礼をいうと、エリュシュードは鼻を鳴らした。
「礼には及ばん」
「では詠唱を開始するので、手を」
和勝は右手を差し、エミの手としっかり繋ぐ。
エミがぶつぶつと呪文を唱え始めると、床いっぱいに書かれていた魔法陣たちが虹色に発光しはじめた。それは徐々に光を増し、眼の前が白く包まれた所で――何も起こらなかった。
唯一の変化があったとすれば、魔王の遺体が発光したままであること。彼の身体から漏れる光の粒子がサラサラと空気中に溶けていき、ガラスの棺の中の花だけを残して綺麗サッパリ消えてしまったことだけだった。まるで役目を終えたと言わんばかりの消え方だった。
「そ、そんな……失敗……?」
和勝はもう家に帰れるものだと思っていたので、愕然としてしまう。
エミは魔法の発動に失敗したことにしばらく驚いて目を丸くしていたが、うーん……と悩んでからこう言った。
「エリュシュード、自害するか、和平を結ぶか選びなさい」
「では自害を……」
「待て待て待て! それはよくないだろ! エリュシュードさんも受け入れないで!」
「じゃあどうするっていうんですか? 殺すのも駄目、自害させるのも駄目、停戦には賛成しない……」
エミは魔力消費が激しく、魔力がすっからかんになってしまったので地面に座ってしまった。
「そ、それは……ぐぬぬ……なんか、魔族の人にももっと協力してもらって、魔法陣がおかしくないか点検するとか……」
「この世界に私以上に魔法を熟知した者などいませんよ。私の魔法陣は完璧でした。原因があるとすれば、私の遺体にそこまで魔力が蓄積されていなかったことだと思います。今度は人間の生贄などを複数人持ってくれば発動するんじゃないですかね」
「エミちゃん! 前世が魔王だかなんだか知らないけど、今は普通の女子高生だから! もっと普通の道徳心を持ってよ! 普通に平穏に生きたいんでしょ!」
「それはそうなんですけど…………じゃあ魔族百人くらい集めて全員から魔力が枯渇するまで搾り取りますか? 多分協力してくれた人、今後魔法使えなくなりはするんですけど」
「それも良くないだろ!」
「じゃあどうしろっていうんですか~! 普通のやり方じゃ私達元の世界に帰れませんよ」
エミは口をへの字に曲げて困った顔をした。これは魔王だった頃にも、よく見た表情である。なにか上手くいかないとこういう顔をするのだ。この人は。
エリュシュードは、それに吹き出して声を上げて笑ってしまった。
普通だとか平穏だとか、かつて魔王だった者からは程遠いものになって生きたいと願っている彼女の姿が、なんだかおかしく、愛おしかったのである。
そしてかつての魔王が本当に欲しかったものは、それだったのだなとも思った。同胞の為の復讐でも、人間への怨嗟でもなく、ただ命を脅かされること無く平穏無事に暮らしたい。その願いのための戦争だったのだ。自分たちはずっと、人間への憎しみに駆られ共存の道を考えては来なかった。どちらかが、どちらかを滅ぼすまで戦いを続けるしか無いと思いこんでいた。人間側にこちらと共存を望むものが居るのかわからなかったが、どちらからかが最初に歩み寄らなければ争いは終わりはしないのだろう。
「何を笑っているのですか、エリュシュード」
「ふふ、あはは、すいません。私はやっと気づくことが出来ました」
「何にですか?」
「この戦争を終わらせたほうが良いということに。あなたが望んだ平穏を魔界にもたらすには、これ以上の戦いは必要ないのでしょう」
エリュシュードは指を鳴らして羊皮紙を出すと、サラサラとなにかを書いて魔法で転送した。それは魔界の軍部への通達状で、戦線から部隊を引き上げよというものだった。それからもう一枚羊皮紙を出すと、戦争を取りやめ和平を結びたいという内容の手紙をしたためた。それもまた魔法で転送する。人間の街への隠し拠点へ流したので、数時間後にはイージリス王国やその他の周辺国に届くはずだ。
「この先がうまくいくかは分かりませんが、同胞を守るために戦いとは別の方法で尽力いたします」
「エリュシュードさん……」
和勝は彼の心変わりに驚いたが、彼がエミを見つめる視線に気づいて納得した。いつまでもこの男は魔王のことを愛しているのだ。そんな瞳をしていた。
「平和な元の世界に帰れるといいですね。エミ様」
彼がそういった瞬間、魔法陣が再度光りだす。
「エリュシュード、良いのですか?」
「あなた様の幸せを、私は心より望んでいるので」
「分かりました。魔界の未来は貴方に託します。それと、兵器があるのはイージリス王国の王城地下です。完成する前に上手くやりなさい。争いの火種は出来うる限り取り除くのですよ」
「御意」
「貴方はきっとこれからも、良い王になれます」
「身に余る光栄です。……小僧、エミ様を頼んだぞ」
「は、はい!」
その言葉を最後に、魔法陣の光は増し、あたり一面は光りに包まれた。