第12話
エリュシュードは回復魔法を受けて、若干朦朧としていた意識がはっきり戻ってくるのを感じていた。
「回復しましたね。エリュシュード、お前が先頭に立って私達を案内しなさい」
「承知いたしました」
彼は立ち上がると、腕にきつく巻かれていた布を取り払った。
「小僧、助かった。礼を言う」
「ああ、いや別にそんな」
勇者と魔王が初めて向かい合った瞬間である。なんとも言えぬ沈黙が流れた。
「早く案内しなさい。少しでも不審な動きをすれば首を刎ねます」
エミは、魔法で光の剣を形つくると、エリュシュードの側に浮かせた。
「そんな厳しいこと言わなくても」
「彼はちゃんと強いので、警戒しているんです。和勝くんは私の後ろにいてください」
「わかったよ……」
エリュシュードは王座の近くにあるオブジェをこてこていじり、ガコッという音をさせた。そうするとゴゴゴ、と石のずれる音がして王座の奥に階段が現れる。和勝は小さく「おお……!」と歓声をあげた。
「光の魔法を使ってもよろしいでしょうか」
「許可します」
彼が指先に光をともし、それを頼りに長い階段を降りていく。
和勝はこういう隠し部屋みたいなものが大好きだったので、とてもワクワクしていた。階段を降りきり、ドアを開けるとまばゆい光が一行を照らす。
扉の向こうは、日光の照らす春の庭園だった。色とりどりの美しい花々が咲き乱れている。生き物の声はしなかったが、そよ風が草葉を揺らす音が心地よい。少し甘い香りがするのはきっとなにかの花の匂いだった。絵画の中にあるような美しい庭だった。これまで暗くてどんよりとしていて、荘厳な空間に居たので、そのギャップに和勝は驚いた。
「ここって……」
「かつての私が空間を捻じ曲げて作った庭です。よく維持できましたね」
「魔王様が気に入って居られたので、何としても守らなければと、エクリプサ率いる魔法部隊が懸命にこの空間を維持しております」
自分が死んだ時にはまだ若手だったあの子が、魔法部隊を率いるようになっているとは。懐かしい名を聞いてエミは感慨深い気持ちになっていた。
「彼女は元気にしていますか」
「ええ。とても元気にしておりますよ」
「それはよかった」
庭を進んでいくと大きな東屋のなかに、ガラスケースのようなものが置いてあった。その中には花が敷き詰められていて、どうやら人が入っている。和勝はなんだか見てはいけないものを見てしまっているような気分になったが、目線を外すことが出来ずにその顔を見た。青緑色の髪の青年がそこには横たわっていた。魔王と言うには風格のない細身だったが、きっと眼を開けばその美しさに圧倒されるであろう美形だった。彼にもエリュシュードと同じ角が生えている。エミと見比べると、青年のほうが西洋チックな顔つきをしているため似ては居ないと思ったが、何処か雰囲気の通ずる物はあった。
「自分の死に顔をみるなんて、レアな体験ですね」
エミは感慨深くなってガラスの棺に触れた。勇者に刺された最後の一撃により腹部に穴が空いているはずだったが、花と着替えさせられた服で綺麗に隠されている。保存の術式が張り巡らされており、それは幾重にもかけなおされている。この遺体が長い間大事に大事にされていることがよくわかった。
「魔王様、どうかお戻りになられませんか」
エリュシュードはエミに向き直り、懇願するような目で彼女を見る。
「魂を移し替える魔法はこちらにもございます。もう一度魔王として、この私の王として采配を振るってはくださいませんか」
「エリュシュード……」
「この三十二年、貴方様の復活を魔界の誰もが願っております。どうか、どうか……」
エリュシュードは跪いて頭を垂れた。その様子にエミは困ってしまう。
そりゃあこの前世を白昼夢で見た時は、人間から受けたひどい仕打ちに、同胞の死に、強い怒りと絶望と悲しみを感じたものである。自分の親は人間の手によって拷問で殺されて、身寄りのない中自分の魔法力だけを信じて魔界の王に上り詰めるまで、たくさんの辛いことや悲しいこと、楽しいことがあった。しかしそれは、たくさんある記憶の中の1つでしかないのだ。もう一度やれと言われても困ってしまう。
「ごめんなさい、エリュシュード。私は、私の人生があるんです。人として生まれ直してしまったからには、人として生きねばならない」
エミは頭を垂れたままのエリュシュードに近寄り、彼の頭をそっと撫でる。彼に向けていた光の剣は粒子となって消えていった。
「この三十二年、私が居ない中で、よくぞここまで軍を率いて魔界を保ってくれましたね。貴方にしか出来なかったことでしょう。これから先も貴方にしか出来ない事がたくさんあると思います。貴方がこれからの王なのです」
「…………恐れ多いお言葉です」
「私はこうして生まれ変わってしまいました。この空っぽの器に帰る魂は、もう既に人としての生を受けてしまっています。いくら待とうとももうここへは帰ってきません」
「それでも貴方は、今ここに居る」
「エリュシュード、私は今幸せなんです」
「…………」
「戦のない国で、ただの一人の人間の少女として生を受けています。両親は健在で、これから先も命を脅かされるような、怖いことには滅多に会わないような場所で暮らしているんです。お日様のもとで堂々と過ごしています。驚きでしょう」
「ええ」
エリュシュードは幸せという言葉を噛み締めた。エミが魔王だった頃に、一度だって聞いたことのない言葉だった。過酷な幼少期を過ごし、力ずくで成り上がってきた魔王の周りは常に命を脅かされるような状態だった。魔界は実力主義なのである。
ごく一部の配下の者にしか心を開かず、この庭園だってエリュシュードは数度しか招かれたことがなかった。その時に魔王はいつもこう言っていた。「この場所のように、日の下で堂々と我らが過ごせるようになったらいいですね」と。それを望んでエリュシュードは今日の日まで、魔王の代理をこなしてきたのである。その彼が……彼女が今幸せだと、そう言った。自分の手の届かない遠い場所で暮らしているのだとしても、かつての彼が、彼女がそう自分に言葉をかけることに、エリュシュードは深く感動していた。エリュシュードはずと魔王様に幸せになってほしかったのである。
「今の私の幸せのために、過去の私の身体を使っても構いませんね?」
「……駄目と言っても、仕方がないでしょう」
「よくお分かりで」
「帰還のためのお手伝いを、させていただきます」
覚悟の決まった声だった。
「ありがとうございます」
こうしてエミは自分の魔王だった頃の遺体を中心にして、大きな魔法陣をチョークのようなもので書き始めた。エリュシュードはその傍らで自分の魔力を遺体に注ぎ込んでいる。少しでも転移の為の魔力消費の足しになればということだった。
和勝はやることがないので二人の様子をじっと見ていたが、それにも飽きキョロキョロと周囲を見渡していた。そうするとエミに「探検してきていいですよ」と言われた。
その言葉に素直に従って、魔王の庭を歩きはじめる。どこも手入れが行き届いていて、美しい庭だった。咲いている花々をよくよく見れば、自分のもと居た世界で見る花とは違う。和勝は花には詳しくなかったが、何となく違うことは分かりそれが面白くて持っていたスマホで写真を撮って回っていた。あとでエミに何ていう名前の花なのか、教えてもらおうと思って。彼女は今も花が好きなのだろうか。そんなことをぼんやりと考えていた。 帰ることが出来たら、お礼に何かしたほうが良いだろう。今でも彼女が花を好きなら、花をあげるでもいいし、何処かに食事に行ってもいいなと思った。こんなことで今回のお礼に釣り合うかと言われれば、釣り合わないと思ったが、こういうのは気持ちの問題である。