top of page

第10話 

 エミは部屋に入ったが、中には誰も居なかった。あてが外れたなと思ったがまあ問題はない。
 聖堂のような場所に、王座が1つ設けられている。それは人間の背丈よりも高い台座に備え付けられており、階段を登らないと座ることが出来ない。この部屋の中において、一番偉い人が誰かを見下ろすためだけにそうなっていた。
「ここに居ないなら、呼ぶしかないかあ」
 エミはてくてくと歩いていき、のこのこ階段を登り、王座にドカッと当然のように座ると短く呪文を唱えた。
 そうしてしばらくすると、正面の大きな扉の中にある小さな扉が開き、男が焦った顔で入ってきた。頭には角が生えており、長い銀髪をオールバックにしている。鋭い黄金の瞳は今も健在だが、目の下には酷いクマがあり、少しだけ目尻に小じわが増えていた。
 ちなみに和勝はこの男が、物凄い早足で歩いてくるところを目撃しており、なにかよくわからない銅像の影に隠れながら、頼むから気づかないでくれと息を殺していた。
「遅いですよエリュシュード。私の呼び出しには三秒で来なさいと言ったはずでしょう」
「貴様、何者だ!」
 エリュシュードと呼ばれた男は、王座を見上げて叫ぶ。
「私の魂の形を忘れたとでも言うのですか。無礼者」
 エリュシュードは黄金の瞳を凝らすと、「そんな、まさか……」と呟いた。
「あなたは、一体……」
「私はかつてファルゴール・メルトリカ・インシディアスネザロスだった者。今の名は蛇塚エミと申します」
 エミは凛とした声でそう告げた。
「ファルゴール様が、お戻りになられたとでも言うのですか」
 目を見開いたままの彼は、信じられないといった表情で小さく言葉をこぼした。
「久しぶりの帰郷です。もっと喜んでも良いんですよ」
 エミは王座の上からにっこりと笑いかけた。その様子は全く慣れたものである。何を隠そう彼女は、この世界の前世で魔王をやっていたのだから。王座は彼女の為にあるようなものだった。
「嗚呼、魔王様………………なんたる、なんたる奇跡か…………!」
 エリュシュードは再度目を見開き、彼女の魂の形を認識した。かつての魔王、ファルゴール・メルトリカ・インシディアスネザロスと全く同じ形と色をしている。こんな形の魂を、誰かと見間違えることは絶対にありえなかった。それほど強靭な魂をしているのだ。
 この三十二年の間、片時として魔王ファルゴールの復活を望まない日はなかった。勇者に殺されてしまった彼の蘇生を試みようと、死体は今でも三十二年前のままで保存してある。
 魔王が倒されたとを公表すれば、人間の士気は高まり魔族を討ち滅ぼしかねない。だから魔王の右腕であったエリュシュードは今日の日まで魔王が死んだことを人間に知られまいと奔走し、内部派閥をどうにかまとめ上げ、自分が魔王の代わりを果たしてきたのである。
 まさかこんな小さな人間の女の子になって帰ってくるとは思いもしなかったが、ただ再度相まみえた事が嬉しく、エリュシュードは両目からほろほろと涙をこぼした。
「あはは、そんなに喜んで泣かないでくださいよ。私は貴方に嫌な知らせを持ってきたのですから」
「このエリュシュード、魔王様のお言葉であれば謹んで拝聴いたします」
 彼は王座の前に跪いて頭を垂れる。
「よっぽど私に会えたことが嬉しいのですね。可愛らしい所もあるじゃないですか」
 エミはふふふと笑ったあとに、そのまま言葉を続けた。
「エリュシュード、今すぐ人間との争いをやめ和平を結びなさい」
 その言葉に、エリュシュードは顔を上げる。
「…………なにかお考えがあってのことで?」
「私に考えがなかったことなどありますか。このままじゃあなた達魔族は、一人残らず滅ぼされますよ」
「まさか! 現状を見るにそんな事はありえない」
「いいえ、あなた達はこのままだと滅ぼされます。イージリス王国にある魔導研究が、何処まで進んでいるかご存知ですか」
「あのような魔法後進国、我々にとっては取るに足らない存在だと把握しておりますが」
「エリュシュード、考えが甘いです。三十二年は人にとって長い年月ですよ。私の死後、貴方の采配があれば5年と経たず滅ぼせていたであろう国が、どうして今も戦線を維持できているのか、考えたことはなかったのですか」
「…………それは」
 エリュシュードは顔を曇らせた。
「私が死んだあとで内部でゴタゴタしたのでしょう。軍部のゴルゴスあたりと衝突していれば、戦況を拡大することが難しいことはわかりますよ。派閥が分かれているにしろ、迅速に団結して行動しなかった貴方達の落ち度です」
「……申し訳ありません」
「それでもあともう少しで、あの国を滅ぼせるはずだとお考えでしょうが、それは間違いです。これ以上戦線を前に推し進めれば、イージリスも黙っておりません。窮鼠猫を噛むという言葉をご存知ですか。弱い者も追い詰められると、強い者に反撃することがあることを意味する表現です。彼の国には秘策がある」
「といいますと」
「新たな魔導兵器を開発中です。恐らく完成にはあと半年ほどかかるでしょうね。しかし、それが完成してしまえば、魔物や魔族は皆死に絶えます。前の勇者の遺体がどう扱われているかご存知ですか? 私が奴に殺されてしまった理由もよくおわかりでしょう。退魔の力を人間ではなく魔導兵器が利用できる……しかも広範囲で。この脅威に打ち勝つ手立てを魔族側は持っていない。今が戦争の止め時ですよ」
「そんな、そんな事を急に……」
 エリュシュードは言葉を続けることが出来なかった。魔王様が帰ってきたというのに、戦争をやめろだなんて言われるとは微塵も思っていなかったからだ。彼の表情は曇り、俯いてしまう。
「だからよくない知らせだと言ったでしょう」
 エミはイージリス王国で、エカチェリーナから話をよく聞いておいてよかったと思っていた。彼女は喋りたがりで、恐らく国の機密である魔導兵器開発のことにも、少し触れていた。流石に詳しい内容は話してくれなかったので、転移魔法陣を取得してから城の地下にある研究室に忍び込んで、研究の内容を盗み見て来たのである。
 前の勇者の遺体を利用した禁術だった。輪廻に還るはずの魂の断片を繋ぎ止め、魔法具によって縛り付けているのだ。様々な術によって退魔の力を増幅させ、強力な魔導砲を打ち込むような代物だった。その威力は国1つを消し飛ばすような代物で、イージリス王国に魔界の場所が割れていない状態の今が救いだった。
 エミとしては前世のことを思うと人類を滅ぼすことに加担してやっても良かったが、それではこの世界から元の世界に帰ることが出来ない。
「魔王様がお戻りになられたのであれば、半年と経たず戦況を打開できるのではないですか」
 ほれみたことかとエミは思った。
「私の今の姿をよく見てみなさい。エリュシュード。何に見えますか」
「人間の……子どもに見えます」
「そうです。私は今魔族ではありません。この意味が分かりますか」
「…………」
 エリュシュードは続きの言葉を聞きたくないとでも言うように押し黙った。
「言葉にしないとわからないようですね。私は、あなたの味方ではないということですよ」
 エミは冷たい眼差しでそう言い放った。
「人間に絆されましたか」
「いいえ、私は貴方に最善の手段を提示しているだけですよ。魔族という種族が生き残るためには、これ以外の方法はありえない」
「納得できません。貴方様はあれほどに、人間を恨んでいたというのにこうも簡単に和平を結ぶなどと……!」
 エリュシュードは静かな怒りに声を震わせた。
「生まれ変わったら考えも変わるものですよ。沢山の人間の人生を生きてわかりました。私は復讐に囚われすぎていた。今の貴方もそう」
「ヴァイロスの死を……ダスクフォールの死を、同法の死を無駄にしろと申しますか!!」
「今まで以上に血が流れると言っているのです。貴方の子どもも、これから生まれる魔族の命も全て無に帰すことでしょう」
「それでも……それでも私は……!」
「エリュシュード。和平を結ぶと言いなさい。貴方が今の魔王なのですから」
 エミがそう説得しても、エリュシュードは首を縦に振らなかった。
「そのようなことはできません……私は人類を滅ぼすことを、魔王様がお亡くなりになった日に…………心に決めたのです。その決意を曲げるようなことは出来ません。たとえ、魔王様が今そう命令されたとしてもです」

bottom of page