第4話 スプラウトヴァージュ邸
クロード・カーター校長からの申し出から2週間、親に連絡を入れ、カミラは様々な手続きをこなした。寮の部屋からは少ない荷物を手際よく詰め込み、学校の正門に中指を突き立てて去ってきたところまでは、爽快感を一身に感じていたのだ。
しかし、少ない本数のバスを乗り継いで田舎道をとことこ歩き、指定された住所の前に立った時、カミラの不安はどこからともなくやってきて心に重くのしかかっていた。
やってきたスプラウトヴァージュ邸は、英国にいた時に、観光で訪れたカントリーハウスと同じくらい……それ以上に立派なものだった。
黒々とした立派な鉄門の向こうには、1キロを越えるであろう舗装された並木道が続いている。
プラタナスとよく似た大きな木々達は、すっかり黄色に色づいて、ときおり大きな葉をひらひらと落としていた。この木は異界からやってきた木で、地球のプラタナスの葉の大きな葉脈が3本に分かれているのに対して、4本に分かれている。魔法植物という、地球の植生とは乖離した種類もあるが、異界と地球の植生はとてもよく似ている部分があるようで、小さな差異が少しづつ存在していた。
これを彼女はまるで、パラレルワールドのようだと感じていた。
異界ノブレッジへの地球人の渡航は国際条約で全面的に禁止されている。異界の全貌を知るには、異界からやってきた人々の伝聞や、書物などからしか想像を広げるしか無いのだが、それでも科学技術が発達しない代わりに、魔法が生活のインフラとして整備されたもう一つの地球のようだと彼女は考えていた。
だから、歴史もある程度似たような進み方をしてきているのならば、ここに住まうのは位の高い王族や、貴族のような血筋の人のはずだ。現代の英国にも貴族階級は存在するが、カミラの育った家は中流層の一般家庭。こんなお金持ちと関わりあったことは無かった。
しかも、50歳はゆうに超えている校長の先生となると、恐らくご年配である。スプラウトヴァージュの魔法理論の著者の情報は、あまり世間に開示されていない。偉大な功績を残したにも関わらず、人物像が一切見えない。男なのか、女なのか、年齢も種族までも、公開はされていない。
あれだけの膨大な理論構築を1人で成したとは考えにくいので、共同執筆では無いかと考える者もいる。
校長にも一体どんな人物なのか聞いてみたが、「良い人だよ」としか聞き出せなかった。校長にとっては「良い人」かもしれないが、カミラにとって「良い人」かは分からない。
「ものすごく怖いお爺さんだったら、どうしよう……」
門を押し開ける勇気が中々出ず、少女は立ち尽くすばかりだった。
しかし、橙色の空は少しずつ濃い青色に変わりつつあり、冷たくなった風が肌を撫でていく。遠くに見える木々に巣があるのだろう。鳥たちは頭上に群れをなし、時折不気味な鳴き声を響かせながら帰路についていた。
「いいな……帰る場所がある生きものは」
空を見上げて、彼女は自分の生家を思い出す。ロンドン郊外の片田舎にある、大したこともない普通の一軒家。祖父と父と母が居て、それだけの穏やかな暮らしに退屈を感じていたが、今となっては郷愁を感じる程度には愛おしいものだ。
だが、あの家にはどう頑張っても3年は帰ることが出来ないのである。国際条約を破って、犯罪者になるのはごめんだった。ここで立ち止まっていても、仕方がない。野宿なんかもしたことがないし、こんな人里離れた場所で、未成年の子供が泊まれるような施設もない。時間の無駄だ。
カミラはそう思い、大きな鉄柵に手をかけ、門の中へと進んだ。
スーツケースをゴロゴロと引きずりながら、並木通りに足を踏み入れると、ぽつぽつと街灯が灯りはじめる。橙色の光は道を照らすと共に、濃い影を生み出している。夜はすぐそこに忍び寄っていた。
カミラが不安を振り払うように、できるだけ早足で進むと、屋敷の全貌が見えてくる。
屋敷の玄関前には大きな噴水があり、それを取り囲むように、美しい花壇と植木が整えられていた。
四階建ての石造りの大きな屋敷は、淡いクリーム色で、恐らく長い年月をかけて改築されてきたのであろう。建物の端に寄っていくに連れて、少しずつ建築様式が違うようだった。屋敷の更に奥にはまだまだ広大な土地があるようで、恐らく庭と畑だろう。そして、そのそばに建物があるのが見えた。一戸建ての家くらいの大きさで、遠目からでは何の施設かはわからなかった。
その壮大さにカミラは思わずため息が出る。
今日からしばらくここに住むのか。まるっきり、貴族の暮らしである。
玄関ポーチの短い階段に、スーツケースを多少ぶつけながら登り、ようやっと豪奢な玄関の前に立って、カミラはまた動きを止めた。
この扉に備え付けられた、凝った作りのドアノッカーを鳴らせば良いのだろうか。ドアを叩いただけで、広大な屋敷の中に自分の来訪を知らせることが出来るとは思えない。
使用人が常に控えているから問題ないのか? それか何かしらの魔法がかかっていて、家主が気づくようになっているんだろうか。出てきた人になんて言えば良いんだろう。名前を言って、紹介状を見せればいい?
思考を一巡させ、スーツケースを1回地面に倒して開き、素早く目当ての封筒を引き抜いて片手に持つ。チャックを閉め、またスーツケースを縦になおし、自分の身なりが変ではないかの確認をした。
きっと大丈夫なはず……。
意を決して、カミラはドアノッカーを鳴らす。それなりに大きな音が鳴った。それからしばらくの長い沈黙。体感時間5分ほど待ったが、扉は開かれないし、中に居る人間が動いているような気配もない。
それに彼女は少し恥ずかしい気持ちになった。間違えてしまったかもしれないと。
「むむ……」
何かを見落としているかもしれないと、キョロキョロと周囲を見回す。そうすると右端の壁に、インターホンがあるのを発見した。
鉄色と黒のプラスチックの塊にはカメラがついており、元の暮らしの家についているような、ブーッと音が鳴るだけの簡素なインターホンとは違った。歴史ある建造物にそぐわない。企業のオフィスにあるようなものである。
「この屋敷には、電気が通っているのか……」
テクノロジーの香りを感じて、カミラは少し嬉しい気持ちになった。何分、電気が使えるのは東側だけだ。自分が持っているスマートフォンの充電にも難儀する場所で、電気が通っているのはとてもありがたいことだった。そして、電気を使っているということは、親地球派である可能性が高い。
カミラはそれに少しの勇気をもらい、インターホンのボタンを人差し指で押す。
そうすると、しばらくしてから声が返ってきた。
「どちら様ですか」
思っていたよりもずっと若い声だ。使用人だろうか。
「この度はお世話になります。ヒンウィルム魔法学院から来ました。ウッドヴァインです」
「………………、少々お待ちください」
「はい」
そこから屋敷の窓に明かりが灯り、随分と経ってから足音が扉の向こうに聞こえた。一体どんな人が出迎えてくれるんだろう。カミラは期待半分、不安半分といった顔でじっと待っていた。