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第1話 

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少女蛇塚エミは転生者である。
新学期も少しすぎた頃。朝のホームルーム前。背筋をぴんと伸ばして、窓際の席に座っている蛇塚エミは、誰とも喋らず静かに小説を読んでいた。彼女は青緑色の髪を一本括りの三つ編みにしていて、制服は校則を破らず規則正しく着こなしている。柘榴石のように暗い赤色の瞳は小説の文を追っており、非常に静かなものだった。
 
 人生とは一本の映画や小説のようなものだ。

彼女が自分が転生者であると自覚をしたのは、五歳の頃のことである。母が見守る中、公園のジャングルジムに登って遊んでいたのだ。てっぺんまで昇って誇らしげにブイサインをして、そこからまた地上へ降りてくる時に、つるりと足を滑らせて地面に落ち頭を強く打った。ごちん!とたいそう痛そうな音が響き、その瞬間知らない記憶が頭の中に流れ込んできたのである。地面に落ちてから泣きわめきもせず、倒れたまま固まっている娘を見て、母は非常に動揺した。

 

「エミちゃん!大丈夫!?痛くない?」
「…………」

 

頭の中に流れ込んできたものは、中世ヨーロッパのような地域で戦火に飲み込まれようとする国を救うべく奔走し、国のために身を捧げたお姫様の記憶だった。様々な困難に直面しながらもそれを乗り越え、戦争を終結させる過程でドラマチックな恋をし、最終的に夫やその仲間と共に国を平和に導いた。

 

まるで一本の映画を自分が当事者となって、実際に体験してきたような感覚だった。

 

「エミ!!!」
五歳の脳は強烈な体験にフリーズしていたが、母の呼び声で我に返る。
「はっ……」
自分が蛇塚エミであることを、エミは一瞬忘れそうになっていた。あまりにも強烈な体験だったからだ。そして先程体験した記憶が自分の中に混ざって同化していくような感覚があった。五歳の自分に七十歳まで生きたお姫様の経験値が溜まっているとでもいえばいいだろうか。あれは確かに、自分の魂が経験してきたことだと幼いながらに彼女は確信した。

 

それからである。彼女が白昼夢を見るようになったのは。現実では短い時間しか経っていないのに、彼女は長い長い前世の記憶をたくさん見た。ある時は傾国の美女、ある時は無名の画家、ある時は軍師、ある時は航海士……数え切れないほどのそれを見て沢山の知識が彼女の中に溜まっていった。

 

最初のうちは「私の前世はおひめさまだったのよ」とエミは見た記憶を嬉々として親に話して聞かせていた。彼女の両親はなにかテレビでそういうものでも見たのかしらと、微笑ましくその話を聞いていたが、大人でも知らないような専門知識を知っていたり、含蓄を持った言葉を放つので少しずつこの子どもが異質であることに気づいていた。
「お母さん、あのね、私今度は国の王様だったの。本当よ。でも、咲ちゃんにお話しても作り話が上手ねって。私本当に王様だったのに」
「エミ……そういう事を、外の人にはあんまり話しちゃ駄目よ。お母さんは聞いてあげるけどね……」
母にそう言われた時に、エミは思った。あ、私って変な子なのかもしれないと。母の眼差しにはどうしてあげたらいいのかわからないという気持ちと、少しの恐れが滲んでいた。
「わかった」
それからも依然として前世の記憶を見続けたが、エミはその話を他人にはしなくなった。聡い子どもだったからだ。

 

そしてできるだけ普通や、平均を目指すようになった。自分がかなり周りの子どもよりも大人びていて、能力があることを自覚していたからである。夢のような感覚とはいえ、人生を何度も体験しているのだ。仕方がない。仕方がないが、子どもは子どもらしくいないと周囲から浮いてしまう。仲間はずれになると不都合なことが多い。誰かにいじめられるような人生はいくつか経験したが、とても不快なものだった。最終的にいじめっ子を見返すようなスカッとした展開になることが多かったが、自分が本当の当事者になることはできるだけ避けたい。痛かったり怖かったりするのは夢の中で十分だからだ。

 

彼女の見る前世の記憶はどれもドラマチックなものである。ドラマチックであるということは、困難がたくさん降りかかり、超えるべき壁がたくさんあるということだ。彼女はこの年にして困難を知りすぎていた。できれば夢の中で体験したような苦労を自分は負いたくない。どれだけ達成感があって、大きなものが手に入るとしても、それに見合うだけの努力をするのが億劫だと思っていた。

 

結局、大きな障害のない穏やかな人生が一番なのである。客観的に見ていて面白くはないけれど、自分が夢の中で主人公として困難に直面し打ち勝とうと邁進する傍ら、いつだって普通の幸せを一番早く手に入れたのは抜きん出て何かができるだとか、そういうナニカを持っている人ではなく平々凡々とした人々だった。

 

今世を生きるなら自分は主人公じゃなくて、脇役になりたい。世界を救ったりしない、平穏無事な人生を送りたい。それが人生序盤からの彼女の願いなのであった。

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