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第1話 

『私は連続する魂の1個体です』
 Youtubeのチャンネル概要欄にはその一文と、X(旧ツイッター)のリンクが記載してある。チャンネル登録者数33人、248本の動画を投稿してあるそのチャンネルの主の名前は此処いるねという個人Vtuberだ。
 TOPに表示してある動画のサムネイルには、白髪にハーフツインテールで紫色の瞳をした少女のイラストの顔が大きく置かれており、左側の空白に縦文字で雑談と書かれている。お世辞にも凝ったサムネイルとは言えない。少女のイラストも大手企業所属のVtuberのように有名なイラストレーターが描いた美麗なものではなく、下手とまでは言わないがチープさを感じる、最低限Vtuberとして成り立っているような見た目だった。似たようなサムネイルの動画がずっと並んでおり、基本的に活動内容は雑談と歌枠。所謂底辺Vtuberであることは明白だった。
 
 だが、このVtuber此処いるねには他のVtuberと違って、特筆する点がある。それが何かというと、このVtuberは不定期に声が変わるのだ。出せる声がたくさんあるだとか、両声類であるとか、ボイスチェンジャーを使用しているだとかそういうことではない。女性の声であることは確かなのだが、到底同一の人物から発声されているとは思えない声の変わり方をする。要するに中の人が変わっているとしか思えない声の変わり方をしているのだ。此処いるねというVtuberを複数人で運営していて、不定期に中の人を変えているとしか考えられない。
 
 しかし、一人のVtuberのガワを複数人で運営するメリットなんて、無いに等しい。Vtuberの祖であるキズナアイが中の人を増やし4人に分裂して、ファンからの不満が噴出した事例をみるに、Vtuberの見た目やキャラクターではなく、あくまで一人の「中の人」の「魂」を我々オタクは応援しているのである。
 此処いるねが何かのはずみでバズったとしても、バズった中の人が居なくなってしまっては人気が継続しないことは明白だ。不定期に中の人を変える意図は全くの不明である。

 俺の名前は設楽 学。田舎の県立高校に通うごくごく普通の男子高校生だ。趣味はゲームとイラストを描くこととYoutubeを見ること。アニメや漫画を見ることも好きで、俗に言うオタクの端くれである。今ハマっていることはVtuberを見ることで、中でも自分好みの個人Vtuberを発掘することが好きだ。
 
 現時点で詳しい数字は忘れたが数万人はいるとされているVtuber市場。毎日のように新人Vtuberが生まれ、なり手は飽和しており、それを見るオタクの数自体はそんなに増えていない。誰か特定の推しを見つけたオタクは、その特定の推しの配信しか見にいかないし、大手企業所属でもない個人Vtuberには箱の知名度も後ろ盾もない。新たな視聴者を獲得するのは至難の業だ。一発当てるにしてもその一発があたった人がどれほどの数いるだろうか。配信のゴールデンタイムは常にパイの取り合いで、目立ってる人がずっと目立ち続けるのがこのYoutubeの仕様である。
 ついでにVtuberのリスナーの寿命はおおよそ3ヶ月と言われており、3ヶ月以上定着した固定ファンは珍しいに分類される。
 
 かく言う俺も飽き性なのと、唯一推していた大手企業のVtuber幽国ルナが俺が見はじめて2ヶ月で引退したので、3ヶ月以上推したVtuberはいない。彼女の配信スタイルは他のライバーとは違い、ホラーやオカルトコンテンツに特化している所が好きだった。俺は昔からインターネットの怖い話や、ホラー映画やゲームが大好きだったので、そこを起点に彼女に惹かれたのだ。
 同期の天海くらげとの絡みも好きだったので、幽国ルナが在籍していた箱の他のライバーの切り抜きや配信なんかはちょくちょく見に行くものの、新しくチャンネル登録をしたり配信でコメントをわざわざ書き込んだりはしなかった。
 またたくさんの有象無象の数字の中の1つになった所で俺の承認欲求が満たされるわけでもなければ、特定のコミュニティに所属している一体感に浸りたいわけでもない。大手のVtuberは切り抜きでつまんで見る分にはそれなりに面白いが、推せるほど惹かれる人物は現れなかった。
 
 やがて俺は元推しがもしかしたら個人Vtuberに転生するんじゃないかと思って、個人Vtuberを漁り始めるようになった。元推しのオタクが転生先を嗅ぎつけていないかと動向をチェックしつつ、個人のVtuberを巡るようになったのだ。
 個人Vtuber巡りはそれなりに面白かった。まず登録者が少ないから、視聴者も少なければさらにコメントを打つやつも少ない。俺が「初見です!」と書き込めばほぼコメントが拾われた。かまってくれるのが単純に嬉しかった。
 まあでも配信者の当たり外れはあるわけで、はずれのほうが多いのは確かだ。単純にトークが面白くなかったり、身内ノリがきつかったり、声が好きじゃなかったり。企画力がなかったり。登録者がいないのにはそれなりに理由がある。その中でも面白いと思えるやつを探す事に注力した。原石探しというわけだ。
 
 俺が原石を探す中で、まだ再生数は少ないがこいつはいずれ伸びるぞと思ったVtuberが、短期間で実際跳ねたときは嬉しかった。まあそんなのは1回きりで、伸びないやつが大半だったが。
 そんなこんなで俺のYoutubeのおすすめ欄のサジェストは個人Vtuberの動画が表示されるようになっていて、此処いるねのライブ配信が表示されたのは偶然のことだった。雑なサムネの歌枠だった。同説2のそれを開こうと思ったのは、完全に気まぐれだった。
 
「それじゃあ次は何歌おうかな~もうそろそろ時間的にラストかも」
 音質が良くないが俺好みの可愛い声だった。
 コメント欄には1つのアカウントだけが書き込んでおり、此処いるねの言葉に対して「え~いま来たばっかり~」と反応する。アイコンはいらすとやの男で、リスナーの名前はおりまる。ほぼ一対一でやりとりが行われていたであろう様子がうかがえるコメント欄に、入りにくいなと思いながら「こんばんは、初見です!」と書き込む。
 
「わっ初見さんいらっしゃい。ここにいるよ~!此処いるねと申します。来てくれてありがとう!嬉しいな!もうそろそろ配信終わっちゃうけどゆっくりしていってね!」
 Vtuberが初見に返す定型句を返され、満更でもない気持ちになる。やっぱりコメントは拾われると嬉しいものだ。
「じゃあ今日の最後歌います。気まぐれロマンティック!」
 いきものがかりか、と思っているとイントロが流れ出す。底辺Vtuberを何人も見てきたから分かるが、歌枠をやっているからと言ってちゃんと歌がうまいやつはそんなにいない。だからあんまり期待していなかったが、此処いるねの歌はちゃんと上手かった。声質が良いのもあるのだろう。ちゃんとピッチが取れているのは勿論のこと、表現力があって音質の悪さを差し引いても上手いことがきちんと伝わってくる。そこら辺の底辺Vtuberと比べると雲泥の差で素晴らしい歌声だった。ちゃんと一芸を持っている。
 まあでもこのVtuber界隈歌がうまいやつは上を見るとごまんと居るうえに、他の競合に歌い手が掃いて捨てるほど居る。彼女が歌だけで伸びるのは余程運が良くないと無理だろう。まあ、可愛い歌声が俺の心には刺さったのだが。
 
 歌い終わった彼女に拍手の絵文字を送ると、おりまるも拍手の絵文字をコメントした。
「ガクさん拍手ありがとう! おりまる拍手ありがとう!」
 ガクというのは俺のYoutubeアカウントの名前だ。名前が学だからガク。安直なハンドルネームだ。
「今日の配信はここまで。来てくれてありがとうね! 明日も夜の21時から配信できたらいいな~と思っています。できなくなったらまたXのほうでね、お知らせするので。あ、チャンネルの登録とXのフォローよかったらよろしくお願いします。それじゃあまた明日ね~おつかれ~」
 「おつかれさまでした」と俺が打ち込むとおりまるも「おつ~」とコメントを残し、配信の枠は閉じられた。
 
 俺は此処いるねのチャンネル登録をして、概要欄から此処いるねのXへ飛んだ。プロフィール欄には『私は連続する魂の1個体です』の文字とYoutubeへのリンクだけが置かれている、フォロー0人、フォロワー25人の弱小アカウントだった。固定ツイートには此処いるねの全身イラストと、配信タグ、ファンアートタグなどの情報が書かれており、付いているいいねは3だった。ママとパパの表記がないあたりセルフ受肉なのだろうか。Vtuber同士でつながったり、ツイッター営業もかけてない事に俺は尖っているなと思った。とりあえずフォローだけはしておく。数多くある中の見てやってもいいかなと思えるVtuberがまた一人増えた。
 
 それから3ヶ月が経った。俺はいつものようにYoutubeを徘徊したり、趣味のイラストを描いたり、定期テストのために試験勉強をしたりなんかして、そこそこに充実した生活を送っていた。
 嬉しいことに俺の元推しは1ヶ月前に個人Vtuberとして再デビューを果たし、ママも同じで前世を想起させるようなデザインで転生した。声も変わっておらず、配信のテンションも内容も前世とそう変わらなかったどころか、心霊スポットに直接凸する実写動画も公開されてファンは大いに沸いた。名義が幽国ルナから霊群ルキに変わったが推しが帰ってきたので、俺は個人Vtuberを掘る必要がなくなったのである。
 
 これまで掘り当ててきた沢山の個人Vtuber達や此処いるねの存在はXのタイムラインの上で度々観測していたが、なんだかんだ霊群ルキの枠の時間と被っていたり、神絵師と比べると下手くそなものだが彼女のファンアートを描くのに忙しく、配信には手が伸びずにいた。
 転生した推しの登録者数はまだ前世の時の半分以下だ。転生した直後からファンアートを投げ続けていれば、前世で貰えなかった認知をもしかしたら貰えるかもしれない。そういう下心もあり俺は必死に下手くそなイラストを描いていた。
 その日はたまたま推しの配信がない日だった。イラストの作業のお供になにか聞き流せる動画がないかと思ってYoutubeを開くと、此処いるねの歌枠が目についた。歌枠なら作業にちょうどいいと思い画面をクリックする。
 クリップスタジオを開いている正面のデュアルディスプレイにすぐ目を戻し、俺は姉からのお下がりの板タブで作業を続行する。ちょうど今は間奏らしく、此処いるねの声は聞こえなかった。知らない音楽がイヤホンから流れている。曲が2番に入り歌声が聞こえる。俺はすぐさまその声に違和感を持った。

 声が違う。
 
 此処いるねの声を最後に聞いたのは3ヶ月前だが、その時抱いた印象は可愛いだった。一曲聞いただけだったが、特徴的な萌え声だった。それが今聞いている声はどうだろう、ハスキーな低音の女性の声だ。依然として歌は上手かったが、似ても似つかない。
 
 いやしかし、インターネットには色々な声を出せる人が居る。男でも女の声を出す人が居るように、彼女が多声類の可能性も捨てきれない。地声が実はこれでしたという可能性がある。そうだったらすごいとしか言いようがない。
 歌い終わったコメント欄にはおりまるとまた別のアカウントが拍手をしていた。同接数は4。
 俺はとりあえず「こんばんは」とコメント欄に打ち込んでみる。

「おりまる拍手ありがとう、いわはすさん拍手ありがとう。ガクさんこんばんは!また来てくれてありがとうございます!」
 3ヶ月前にコメントしたきりなのに、認知されていた。その事に少し驚く。此処いるねは大分記憶力が良いらしい。
「覚えてくれてて嬉しいです!以前と声が違いますね」
「あーそうだね。声が違っても私は連続する魂の1個体です。気にしないで配信見ていってくれると嬉しいです」
「いろんな声が出せるんですか?」
 俺のコメントを無視して次の曲のイントロが流れ始める。やくしまるえつこのロンリープラネットだ。曲が終わったあとも俺のコメントは拾われること無く、拍手へのお礼が続く。少し不服に思ったが、作業を再開することにした。以後配信が終わるまで此処いるねの声は、ハスキーな低音の女性の声のままだった。

 3日後、此処いるねが「しばらく配信できる状態じゃないので配信お休みします。また再開できるようになったら告知するね!」とXに投稿していた。Vtuberを見ていたらよくあることなので俺はそんなに気にせず、その投稿にいいねを押した。特に気に留めていたわけではないが、2週間ほどして「今日の夜21時から配信再開します!」と投稿されていたので失踪しなかったかと思った。この界隈では卒業もせずに音信不通になるやつが程々の頻度で現れる。活動を継続しているだけで偉いものである。

 俺はその日暇だったので、此処いるねの配信に顔を出すことにした。【雑談】生きてます♪【Vtuber】と銘打たれたリンクを踏むと、配信画面が表示される。
「あー。あい。聞こえてますか?はい。始めたいと思いますけど。まずは待機してくれたおりまるありがとう。お久しぶりです。元気にしておられましたでしょうか。私はぼちぼちといったところだね~」

 声が違う。

 またしてもだ。前回はハスキーな低音の女性の声だったが、今回はなんとも形容しがたい普通にどこにでもいそうな女性の声をしている。特筆するような特徴がないというか、配信向きではない声だ。本当にただの一般人といった感じの声。全く持って別人の声だと思った。

 コメント欄に居るおりまるはそのことには触れず「元気にしてたよ」と返答している。
「元気にしてた?よかった~ていうか2週間も配信してないとなまっちゃうね。あんまり休み過ぎたら配信者名乗れなくなっちゃうよ」
 そのまま普通に配信は進んでいく。違和感を持っている俺がおかしいのか?
 いやいやそんなはずがない。俺は此処いるねのYoutubeチャンネルのホームに飛び、2週間前の歌枠を再生する。ハスキーな低音の女性の声で此処いるねが歌っている。念の為喋っているところも再生したが、どう考えても別人の声にしか聞こえない。

 じゃあ、一ヶ月前の配信は?
 俺は視聴1ヶ月前の配信をクリックする。ハスキーな低音の女性の声のままだ。その事に少しほっとするも、3ヶ月前の配信の事を思い出す。3ヶ月前の配信の中で、俺が視聴していない配信をクリックすると、俺が最初に聞いた時の可愛らしい声だった。ページをスクロールして、もっと過去の配信を探ってみる。1年前に配信済みの配信を聞くと、また違う女の声だった。Youtubeの仕様上1年以上前の動画はすべて表示が1年前、2年前と年単位で表示される。1年前の中でも間隔を開けて再生すると別人の声がした。2年前、3年前と遡り、いずれもある程度の期間を開けると声が別人に変わる。
 4年前が最古の配信だった。【初配信】此処いるね【Vtuber】を再生すると、やはりこれまで聞いてきたどの声とも合致しない声が流れた。コメント欄にはおりまるの姿があった。こいつ、4年も前から此処いるねを推しているのか。
 それにしたって、中の人が変わっているとしか思えない。4年も中の人が変わり続けるVtuberを、どうしておりまるは応援し続けられるんだろうか。余程此処いるねというキャラクターが好きなんだろうか。
 
 不定期に中の人を変える意図は全くの不明だ。だって、Vtuberは中の人とガワが揃ってはじめて成立するものである。それをこんな、4年もの月日の間何十人もの女性が代わる代わる此処いるねを演じ続ける意味がわからない。チャンネル登録者数も33人しかいないアカウントでだ。いくらVtuber志望者が増えたからと言って、お世辞にも出来が良いといえないあのガワでVtuberをやりたいものなんだろうか。ただの遊びの一環にしては気味が悪いと思ったが、同時に俺は此処いるねに強い興味を持った。

 まだ今日の此処いるねの配信は続いている。
 俺は配信に飛び込むと、「こんばんは。お久しぶりです。また声が変わりましたか?」とコメント欄に打ち込んだ。
「ガクさんこんばんは。またきてくれてありがとう! 声が変わっても私は連続する魂の1個体です。気にしないで配信見ていってくれると嬉しいです」 
「過去の配信いくつも見ました。どうして声が不定期に変わるんですか?」
「声が変わっても私は連続する魂の1個体ですから、本当に気にしないでください」
「中の人が違うってことですよね?」
「私は連続する魂の1個体ですから、中の人なんていないですよ」
「どうしてそういうコンセプトでVtuberをやろうと思ったんですか?あなたは何人目の此処いるねなんですか?」
「私は連続する魂の1個体です。コンセプトもなにも、私は私で、この世に私は一人だけしかいません」
「連続する魂の1個体って、どういう意味なんですか?」
「文字通り、そのままの意味です」

 ロールプレイを守ろうとしているのか、此処いるねは俺の質問をのらりくらりとかわした。
 コメント欄が動く。おりまるが「いるねちゃんはいるねちゃんだと思って接したほうがいいですよ」と書き込んでいた。
「おりまるは良く分かってるね。私は私だもんね。ところで話は変わるんだけどさ、私昨日珍しく辛いもの食べに行ったのよ」
 そのあとの此処いるねは俺が「本当に気になるんです!どうして声が変わるんですか?」とコメントしても無視した。連投をすると、彼女は深い溜息をついて「これ以上しつこく連投したら配信者権限でブロックするからね」と言った。
 俺はブロックされたくなかったので「ごめんなさい」と書き込む。
 「もうしないでね。2度目はないからね」
 以後下らない雑談がずっと続いた。此処いるねの話はまさに無軌道雑談という感じで、俺の肌には合う。時折俺やおりまるのコメントを拾うものの、ほぼ一人でずっと話し続ける様は配信者の適性があると思った。4年もやっていれば板につくだろうが、確実に中の人が入れ替わっているはずなので、はじめて配信をした女の風格には思えなかった。

 俺は此処いるねの配信が終わったあと、彼女のXのフォロワー欄からおりまるの名前を探した。幸いフォロワーが少ないので、おりまるらしきアカウントはすぐに見つかる。
 投稿内容は主に日常の出来事や此処いるねの投稿のリツイートとソシャゲのスクショと飼っているであろう猫の写真。フォロー1280、356フォロワーのオタクアカウントだった。どうやらDMは開放しているらしく、俺は好奇心に抗えず彼にDMを送ることにした。此処いるね本人に聞いた所でロールプレイでかわされるだけだ。だが4年も推してきているオタクならば何か少しでも裏の話しを知っているかもしれない。彼女の信者であるなら口を割らない可能性もあるが、駄目で元々だ。

「はじめまして。ガクと申します。先程は配信を荒らすような真似をして不快な思いをさせてしまったかもしれません。すいませんでした。でも俺、どうしても此処いるねさんが4年もの月日の間中の人を変えて活動を続けているのか気になるんです。決して害を加えようだとか思っているわけではありません。これから彼女のことを応援していきたいなと考えています。初配信でおりまるさんのコメントをお見かけしました。4年間推していて何か気がつくことがあったり、彼女から事情を聞いたりしませんでしたか?どうしても気になるんです」

 30分ほど経って、おりまるから返信が来た。
「はじめまして。いるねちゃんを推し始めたばかりの頃を思い出しました。新しい同担は歓迎です。僕も4年間ずっと中の人が変わり続けているんだと思っています。ただ、ロールプレイがあまりにも一貫しているので、どうやってそれを保っているのかはわかりません。現在非公開のアーカイブになっていますが、初配信から3ヶ月経った頃だったかな。はじめて中の人が変わったときに、僕がどうして中の人が変わったんだと問い詰めたところ、どうして私が私だと誰も信じてくれないのと泣き出してしまったことがありまして、その時僕が過去に発言したことだったり、好きだと言ったものを全部覚えててくれたんですよね。僕の発言は3ヶ月分アーカイブを遡れば分かることではありますが、それ以降中の人が変わっても僕の言ったことをずっと覚えているようです。エゴサに引っかからないツイッターで言ったこともです。流石に4年もの歳月がたまると、どうやって情報を共有しているのかはわかりませんが、いるねちゃんはいるねちゃんを一貫してやり続けています。好きな作品だとか、思想にもブレがありません。喋り方のイントネーションだとか、ふとした時の口癖、声が変わってもおんなじなんです。歌やトークは初期と比べると年々上手くなって来ましたが、ここまで徹底されると僕もそういうものだと思って接さなきゃいけないなって思っていて……中の人の声が変わっちゃったからとか、気味が悪いからという理由で他界するオタクを何人か見送ってきました。いるねちゃんが新規層を取り込もうと積極的に活動するタイプじゃないので、新規もつきにくくて、応援してくれる人が増えると僕もオタクとして嬉しいです」
 おりまるからの文章を読んで、結局中の人がどうして変わるのかはわからなかったが、俺は此処いるねを推す事に決めた。推すというか、彼女を見続けることによって此処いるねという存在の同一性の保持がどうやって行われているのかを暴きたくなったのだ。

 早いもので此処いるねを追い続けて1年が経過した。大学受験があったので、この1年そこまで高頻度にVtuber自体を追えていたわけではないが、数える限り此処いるねはこの1年間の中で17人中の人が変わった。此処いるねの配信に度々コメントを残すことによって、俺は継続して彼女からの認知を受けていた。
 彼女はサブカルチャー全般が好きで、俺が好きな百合作品や音楽ともやや趣味が被っていたので、そのことに話の花を咲かせたりすることもあった。作品への理解度が高く、解釈が鋭いので知らないコンテンツの布教が上手く、此処いるねの影響で読み始めたSF百合小説や百合アニメなどが無数にある。
 俺が絶妙に知らないが好きな系統の曲を歌枠で歌ってくれることもあり、本当にいい趣味をしているなと思った。日本各地いろいろな場所を訪れることが多いらしく、知らない観光地の話を聞くのも面白かった。此処いるねのおかげで見識が広がったと思わされる程度には、彼女は話し上手で配信に飽きは来なかった。
 中の人が変わったときは時折カマをかけるように彼女が好きな特定の作品や、作曲家の話を振ってみたり、歌枠で過去に歌ったことがある曲をリクエストしたが、矛盾が発生することはなかった。視聴者数は依然として少ないままだったが、此処いるねの配信は俺にとって心地がよく楽しいものだった。

 此処いるねは連続している。本人が言うように連続する魂の1個体をやり通していた。その執念とも言える配信スタイルに俺は感動さえ覚えている。
 そしてこの面白い存在が、もっと世間に認知されるべきだと思った。この1年間で増えた登録者はたったの8人。コメント欄に定着したのは2人で、俺が疑問を呈したように中の人が変わったときはその事に言及したが、此処いるねの返答は変わらず「声が変わっても私は連続する魂の1個体ですから、本当に気にしないでください」というものだった。
 
 俺が此処いるねに気まぐれにファンアートを描いてやると、配信で言及し彼女は大層喜んだ。下手くそな絵なのに大げさだと言ったが、ファンアートをもらうのは初めてだったらしい。大学受験に合格したときはわざわざリプライで「おめでとう! 大学生活頑張ってね!」と送ってきた。フォローは返さずとも、オタクのホーム欄は定期的にチェックしているようだった。
 一度配信内で「もっと登録者増やしたいとかないの?」と彼女に聞いた事があるが、「数字気にして配信やってないしな。趣味というか、記録みたいな側面もあるから」と返された。「記録?」と聞き返すと「そう。私がちゃんと生きているっていう記録だよ」と此処いるねは言った。何やら核心に触れるような言葉だったのでもっと掘り下げたかったが、話題が次に移ってしまいそれは叶わなかった。

 大学に進学し、俺は新しい環境にもまあまあ慣れ、以前と変わらず普通の日々を過ごしていた。友達もできたし、興味を惹かれるものがなかったのでサークルには入らなかったが、大学生活をそれなりに謳歌している。

 ところが突然、非日常は飛び込んでくる。
 8月の暮のことだった。大学は夏休みで昼夜が逆転してしまった俺は、朝の6時過ぎに飯を食ってから寝ようと思って、冷蔵庫の前に立って食べ物を物色していた。目玉焼きとベーコンでも焼こうかなと思い材料を取り出して、コンロに火を付けたところだった。
 2階から寝間着姿の姉が降りてきて、今日は起きてくるのがいつもより早いなと思った。社会人の姉は大体いつも起きてくるのが7時半頃と決まっている。
「おはよう。姉ちゃん今日早いね」
 姉の方を見ずに話しかけると、遠慮がちな声で「……あの」と返される。
「何?」
「私って、誰ですか?」
 その言葉に姉の方を見る。姉は本当に困った顔をしていて、何を言ってるのか意味がよくわからなかった。
「は?」
「ごめんなさい。私、記憶がないんです」
「え、何? からかってる?」
「本当に記憶がなくて」
「どういうこと」
「自分が誰だかわからないんです」
「いや、マジで姉ちゃんの大嘘通用するのガキまでだからね」
 長い沈黙が流れる。ベーコンがジュウジュウと焼ける音が嫌にはっきり聞こえた。

 姉はおっとりしている割には陽気な性格なので、小さい頃は俺に大嘘を吹き込んではケラケラと笑っていた。大人になってからも俺にちょっかいをかけてくるのは変わらず、わかりやすい嘘をついては俺にツッコまれるのが恒例となっていた。だから今回も「嘘だよん~」と言ってケラケラと笑うものばかりだと思っていた。
「…………ごめんなさい。信じてもらえませんよね」
 傷ついたような、泣き出しそうな、不安でいっぱいという顔をしたあと姉はうつむく。
 いつの間にこんなに演技が達者になったのだろう。
「いやいやいや、マジで騙されないからね」
 俺は焼けたベーコンを皿に移す。ここで本当に心配したら盛大にからかわれるに決まっている。

 そうこうしていると、母が台所に入ってきた。
「おはよう」
「あの、すいません。私、記憶がないんです」
 姉は母に向かって俺に吐いた嘘を言う。
「何あんた昨日飲みすぎたの?」
 母は食器棚からマグカップを取り出すと、ウォーターサーバーから水を注ぎながらそう返す。
「昨日のこともわからないんです……助けてください」
「今日姉ちゃん起きてきてからずっとこれなんだけど。流石にウザい」
「本当に……本当に記憶がないんです……」
 そう言って涙を流し始めた姉を見て、俺も母もぎょっとする。人をからかうにしても、これはちょっとやりすぎだ。
 母は娘の異常性を感じ取ったのか、姉に駆け寄り「真彩……?」と名前を呼ぶ。
「私……まあやっていうんですか……?」
 それから父も起きてきて、場の空気のおかしさに「どうしたんだ?」と言葉を発した。
 
 泣いている姉を居間のソファーに座らせ、家族で話を聞くと本当に何も思い出せないのだという。俺はいつネタバラシをするんだろうかと思ったが、そんな事を言い出せる雰囲気ではなかった。
 人間がある日急に記憶喪失するだなんてことがあるんだろうか。昨日だって姉は普段と変わらない様子で居た。なにか変に思うこともなかったし、交通事故にあっただとか、強く頭をぶつけただとか言う話も聞かなかった。職場の関係も至って良好で、よく同僚の人と飲みに行っていたし、強いストレスに晒されているとも考えにくい。
 父と母は姉の言い分を信じた。姉の職場に連絡し事情を伝え、脳神経内科のある病院に電話をかけた。姉は終始居心地の悪そうに身を縮めており、その姿は俺の知っている姉とはかけ離れていた。
 俺は昼まで眠ろうにも眠れず、母が仕事を休んで姉を病院へ連れて行くのを見送った。

 夕方になってから母が姉を連れて帰ってきた。脳検査の結果は異常なかったそうだ。つまり、原因不明の記憶障害。医者もお手上げということである。母は困り果てた顔をして「どうしようねえ」と言った。
 姉は申し訳無さそうな顔をずっとしている。
 
「……まあ、なっちゃったものは仕方ないんだから、なにか思い出すまで頑張るしかないんじゃないの。ドラマとかでさ、思い出のものとか見ると思い出すとかあるじゃん。アルバムとか見てみる?」
「そうねえ……」
 そう言って母は押し入れからアルバムを数冊引っ張り出してきて、姉に見せた。姉が生まれてから中学校を卒業するまでを収めたそれを、思い出話をしながら捲ったが姉はどれもピンと来ていないようだった。

 母は夕飯の準備をするからと言って、台所に立った。
 俺と姉は居間に取り残されて、なんだか気まずい。
「なあ、本当に何も覚えてないの?」
「はい……ごめんなさい」
「別に謝らなくていいけどさ……どう接したら良いのかわかんねえよ」
「………………」
「姉ちゃんの部屋、見てみる? 自分の部屋だし、なんか思い出すかも」
 その言葉に姉は頷いたので、2階にあがり姉の部屋に入る。
 窓際のベッドに、机の上のPCモニターと液タブ、推しのアクスタとぬいが飾ってあるカラーボックスに、漫画と小説で埋め尽くされた壁際のデカい本棚。見慣れたオタク部屋だ。姉は俺と同じオタクというか、姉がオタクだったから俺も影響されてオタクになった。
 小学生の頃は2人で家族共用のパソコンを使い、Youtubeでニコニコ動画の無断転載音MADやおもしろ動画を見漁ってゲラゲラ笑い、なりきりチャットをし、俺がエロサイトの架空請求に半泣きになっていると親に内緒で果敢に立ち向かってくれた姉だ。
 BLという存在を俺に知らしめたのも姉だし、まあいまでは俺は立派な百合のオタクになったのだが、それでも姉が収集した少年漫画達は俺に多大な影響を与えた。
「西条竜星のことも思い出せない?」
 俺は姉がここ数年熱を入れてハマっているアイドルアニメの最推しを指差す。
「思い出せないです……」
「そっか……推しも無理か。まあでもアイドリークラウン記憶消してもう1回みたいって言ってたから、できるようになってよかったじゃん」
 俺が軽口を叩くと、姉は曖昧に笑った。それを見て、姉がしない顔だなと思った。

 姉が記憶を失ってから2日が経った。姉は仕事をしばらくの間休むことにしたらしい。家族ができることといえば、夕飯時に昔の思い出話をするくらいで、姉はそれを興味深く聞いていた。何かを思い出すような素振りはなかった。父と母は家にいる間姉によく話しかけたが、俺はよそよそしい態度の姉とどう接したら良いのか分からなくて、あまり話をしなかった。

 次の日の朝、家のインターホンが鳴ったので出ると宅配便だった。Amazonの小ぶりの段ボールを渡され、宛名を見ると姉の名前だった。我が家では、届いた荷物は玄関の棚の上に置いておくことが慣例となっていたが、今の姉が気づくはずもない。俺は気を利かせて姉の部屋をノックした。程なくして姉がドアを開ける。

「荷物届いてたよ」
「ありがとう」
「なにか買ったの?」
「……ううん」
「あー、じゃあ前に注文してたやつが届いたのかな」
「そうかも」
「うち、届いた荷物は玄関の棚の上から各自持ち帰る方式だから、今度からは気にしといて」
「わかりました」
 姉に段ボールを受け渡すと、別に用もないので俺は自室に帰った。

 夕飯と風呂を済まし、時刻は22時を過ぎた頃だった。なんとなくスマホからXを開くと、此処いるねの投稿が目に入る。
『【配信告知】今日21時から!!!!雑談配信です。』
 まだやっているかなと思って、リンクを開くと配信画面が表示された。
 
「……破綻した文章というものが存在しないので、坂島樹の作品には。ということで、皆さんも是非読んでみてください。でもほんとにさ~2作品ともアニメ化するとは思わなかったよね。学生の頃の自分に聞かせてあげたいわ」
 また此処いるねの声が変わっている。1年も見続けていれば突然声が変わっていることにも慣れるものだが、今回は何か違和感がある。俺はとりあえず配信のコメント欄に「こんばんは」と打ち込む。
「短編集の海辺にても良かったよね。私佐伯苺ちゃんのこと大好きでさ、苺ちゃんが紅茶好きだから紅茶飲み始めるようになったのよ。読んだとき小学生の頃だったから、苺のフレーバーティーなんて近所のスーパーマーケットに無いわけ。紅茶の専門店なんて有るの知らなかったからさ、黄色いパッケージの紅茶買って貰って飲んでた。ああ、そうそうリプトンのやつね」
 どこか声に聞き覚えが有る。アニメの声優でもなければ、配信者でもない。なんだ? 抑揚の付け方は違うが、もっと聞き馴染みの有る……。
「あ、ガク! 来てくれてありがとう!」
「姉ちゃん…………?」
 俺のユーザーネームを呼ぶ声は姉の声によく似ていた。

 此処いるねの話はそれからも続いて、俺はコメントを打ち込まずに画面を凝視していた。
「話変わるけどこの前久々に東京タワー登ったのよ。スカイツリーじゃなくて東京タワーなのはまあ聖地巡礼ですわな。Youtubeでアプリコットガールの一挙やってたでしょ。見返したらやっぱり美佳里と涼香の関係性が萌え萌えすぎて、魂に響いたわ。でもさ階段登るの地味にきつくて、15分くらいで登れるって聞いてたのに体力って人それぞれだなって思いました」

 姉が此処いるねをやっている? 

 いや、良く似た声の他人かもしれない。まず話し方が姉の話し方ではない。姉がこんなにハキハキと喋っているところを見たことがない。姉は間延びした語尾が伸びるような喋り方をするし、喋る速度も遅くてこんなに早口ではない。
 此処いるねの話し方が中の人が変わっても一貫しているのはこの1年の観察でわかっているが、姉がこんな誰かの喋り方を完コピできるような器用さを持っているとは思えなかった。ものまねだって似ていたためしがない人だし。
「展望台去年リニューアルしたじゃん? なんかカッコよくなってたよ。晴れた日だったら富士山見えるんだけどね、曇ってたから見えなかったや。足元がガラス張りの所あるじゃん。みんなああいうの乗れる性格してる? 私無理。安全性が担保されてるって考えても、もし自分のときに運悪く割れたらとか考えたら乗れないんだよね。高いところが特段怖いとかはないんだけどさ」
 
 しかし聞けば聞くほど声がよく似ている。もし姉が此処いるねをやっているとして、どうして今のタイミングでVtuberをやり始めるのかが謎だ。
 記憶喪失になったことが本当であれば、こんなエピソードトークがポンポン出てくるはずがない。それに俺達が住んでいるのは岡山県だ。姉が直近で東京に行ったような事はない。今話していることは全くのでたらめな嘘ということになる。記憶喪失が嘘であれば、わざわざ仕事を休んでやりたかったことが配信なのか?
 収益化も通っていないチャンネルだ。何らかの対価があるわけでもないのにVtuberをやりたがる理由が思いつかない。なにか心境の変化があったのだろうか。
 
 此処いるねの存在に対して、この1年を通して立てた仮説が有る。此処いるねというキャラクターを演じる為の台本や膨大なアーカイブがあらかじめ存在していて、インターネット上でそれが共有されており、募集のもとに集まった複数人の女性が代わる代わる彼女のことを演じているというものだ。それくらいしか、中の人が変わる理由を思いつかなかった。
 
 もし姉が此処いるねの中の人を志願して、今此処いるねを演じているのであれば、今1枚隔てた壁の向こうに此処いるねが居るということになる。その事に俺の胸中はざわめいた。
「東京はホントビルだらけで、人が多くて嫌になるよね。まあ、その分人に関心ない人が多いから変な人が居ても紛れられていいけどさ。あと大体なんでもあって便利ではある。田舎も田舎で嫌いじゃないけど、住むなら程よく地方都市くらいが丁度いいのかもね」
 確かめてみたい。此処いるねの謎を暴く二度と無いチャンスだ。
 隣の部屋のドアを開けて、姉が配信をしていない可能性もある。それならそれで、かまわない。
 俺はスマートフォンにBluetoothイヤホンを繋いで片耳に入れた。配信は付けたまま、ひっそりと部屋を出る。足音を立てないように気をつけながら、姉の部屋のドアノブに手をかける。ノックはしない。言い逃れできるような状況を作らない為だ。短く息を吸って吐く。耳の中で此処いるねの声とともに自分の鼓動がよく聞こえた。ゆっくりとドアノブを回して、音を立てないようにドアを開ける。
 
 姉はPCのある机の前に座っていた。ゲーミングチェアの背に隠れて、頭の上だけが少し見える。
「親が転勤族だったから、色んなところに住んだことが有るけどさ……」
 数秒のラグの後、同じ音声がイヤホンから聞こえた。
 その事に俺は息を呑み目を見開く。ビンゴだ。
 ドアを開けられたことに気づいたのか、姉が振り返る。
「姉ちゃん」
 姉のディスプレイの上には昨日は付いていなかった、Webカメラが装着されていた。
「……あー…………すみません。ちょっと人と話してるからあとで……」
 バツが悪そうな顔をしてそう言う姉に、俺は左手に持ったスマホの画面を突き付ける。
「姉ちゃんって、此処いるねなの?」
「………………」
 姉は俺のことをじっと見つめて黙った。
「なあ、」

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