第9話 不老不死
カミラは身を乗り出して、テーブル越しのジェイミーに詰め寄った。
「いるんですか!! 不老不死!」
普段静かに喋る彼女が珍しく声を高らかにしている。よほど嬉しいのだろう。
それにジェイミーは苦い顔で返す。
「こっち側ではきっとヴァンパイアか吸血鬼という名前で伝わっているんじゃないかな」
「ヴァンパイア……! 実際に存在するとは」
「ものすごく希少な種族でこちら側にも渡航が出来ないから、まず出会うことはないと思うけど。ぼくも伝聞以上はよく知らない」
「じゃあ、地球人が異界側に渡航する手段って」
「無いよ」
間髪入れずジェイミーは言葉を挟む。
それを聞いて彼女は右手を顎に当てて、眼鏡のレンズの奥で思慮深い目つきをした。
「なるほど。新たな課題ができた」
「きみ、あんまりルールを守らない子なんだね?」
「納得できるならば、出来る限りは遵守できます。でも、目的のために手段を選んでいられるほど恵まれてはいないので」
そういった思想を、隠しも誤魔化しもしないということは、必ずやり遂げるということだとジェイミーは思った。
こちらが妨害をしようが、どんな言葉を浴びせられようが、折れないという眼差しをしている。
ジェイミーは「はあ……」と大きなため息を付いた。
まごうことなき問題児だ。少しだけ彼女の異常さが見えてきたかもしれない。
しかし、それはあまり嫌な感じではない。ジェイミーの母とよく似ているとさえ思った。
彼の母は自分のやりたいことのために、ルールの方を捻じ曲げ……改正してきた実績がある。
正当な手続きを踏んで規則を守っているんだから、文句は言わせないというやり口だ。
直近のものだと、認可を受けたノヴレッジ出身の魔法使いが国外滞在できる期間を、3年から7年に引き伸ばした。自分の研究のためにである。
尖った反骨精神がまあるく摩耗して、なかったことにならない限り、いずれカミラも社交を覚えてこういった手段に出るんだろう。結局のところ、自分に都合のいい人間を味方につけて、懐柔してしまうのが一番早いのだ。
今彼女にそういったことを教えると面倒なことになるので、教えはしないが。
「あなたほどの研究者であれば、法律が煩わしいと感じるのでは?」
正直この島にある法規制は、本国のものよりもずっと厳しい。
だが、この島はそれだけのルールを作らなければいけない程度には、争いの火種を持っている。
地球側の血が半分流れているジェイミーは、父の故郷を脅かすようなことはしたくなかったし、この島に住まう人々がこれ以上肩身の狭い思いをするのも嫌だった。
いつも破天荒な母の背を見ながら、中立的な意見を提言してきた側である。
「……制約の中でどうにかするのが、研究者としての責任だよ」
「もし、倫理的問題を無視すれば、研究の段階が飛躍的に前に進むとしても?」
「人は集団の中で生きている。排斥されれば、今できることも充分にできなくなるよ。その先は破滅だ。数十年前の話だけど、グレートレルムのヒュジライト医学研究所の事件は流石に知ってるだろう」
「ああ、患者に実験体をしていた……」
「彼らは人道を外れた結果、みんな凄惨な最期を迎えた。歴史から学びたまえ」
ジェイミーは尊大な口調で、手に持ったスプーンをぴっとカミラの方に向けた。
「わかりました。それで、外出の件は……」
「きみが放っておいても杖なし魔法を勝手に習得しそうな性格なのは、よくわかったよ。これでは屋敷が跡形もなく吹き飛んじゃうのが、最低4回は起きるだろうね」
すっかりカミラのペースに乗せられてしまったジェイミーは、最初の話題が杖を外に買いに行く話だったことを思い出した。
「なんと。そこまで出来ると買ってくださっているのですか。たったの4回の失敗で私が杖なしをマスターできると」
特定の魔法だけであったが、カミラは杖がなくても魔法が使える。この事はジェイミーには黙っておこうと思った。
「野放しにしているよりは、杖を持たせておいた方がマシだという判断です。反省するように」
ジェイミーは、たしなめるような口調で先生面をする。すっかりカミラと話すのにも慣れてきた様子だった。
「すいませんでした」
それに対してカミラは、眉を下げて反省しているという顔をする。
内心はなにも反省していなかったが、この場を収めるにはそれが最適だと思ったのだ。自分の要求を通すには、一度引いた方がいい。
ジェイミーはそれに気づかず満足げな様子で、彼女を追い出すことをすっかり忘れていた。
「杖……買いに行こうか……多分屋敷に呼びつけるより、出向いた方がいいし。きみの課題作りがまた伸びてしまうけど、仕方がない」
「街に買いに行くだけではないのですか? お手を煩わせずとも、一人で行って帰ってこれます」
「きみの魔法力に対応しきれていない杖を持たせ続けるのは、今回のような事故に繋がるから、もっとランクが高いものを選んだほうがいいと思う。街の魔法用具店の杖は、万人向け。特定の個人に特化したような代物は売ってない。そうなると西南の街の杖職人くらいしか頼るところがないんだ」
「西南といえば、魔法族しか居ない街ですか」
カミラは目をきらっと輝かせて、ジェイミーの方を見た。好奇心が止まらないと行った様子だ。
ジェイミーはそれを見て、魔法族しか居ない街にこの子を一人でやるには、あまりにも不安要素が多いと思った。
それに、上位の魔法族の杖工房というのは、基本的に一見さんが相手をしてもらえるような場所ではない。店主も少々変わった人なので余計に不安だ。
「きみ一人で行かせるわけにはいかないからね。色々と心配だし。今日中に一緒に行くしかないかな……」
カミラはコップに残ったコーヒーを飲み干すと「では出かける準備をしてきます!」と元気に言った。
ここに来て3日、この魔法使いの先生は外出がどうやら嫌いなのだろうと察していたが、ついてきてくれるのが純粋に嬉しかった。
知らない場所に行くのはわくわくするが、少しは心細いので同行者が居ると心強い。
「1時間後には屋敷を出るよ」
「了解です」
嬉々とした顔で部屋を出ていったカミラの背を見送りながら、ジェイミーは食べ終わったあとの2人分の皿を集める。
それを食洗機にセットし、洗剤を入れてボタンを押す。
そこまでしてようやっと、自分の口から出ていってしまった言葉を、はたと自覚した。
「自分から出かけるって言い出すとはなあ……」
自分はどうやらこの弟子に対して、いいところを見せたいらしい。見栄っ張りな性格ではないと思っていたが、あんなに尊敬の眼差しを向けてくれているのだから、しっかりしなくてはいけないと日に日に背筋は伸びている。
――ぼくも、変わらないといけないんだ。人と接するのは、まだ緊張するけど。知ってる人から少しずつ、関わりを持って……。
しかし不意に、「出かける時の服って、何を着ればいいんだっけ?」と疑問が頭によぎる。
ジェイミーは急いで自室へと駆け込んだ。
着古し、庭いじりと畑作業で汚れた服しかないかもしれない。
そして中々開いても手を出さないクローゼットの奥にある服を、ひっくり返す。
自分のほうが、1時間で出発できないかもしれない。