第25話 薬
「どうしようかなあ……」
勉強会の3日前のことである。
ジェイミーは薬品庫の棚の前を行ったり来たりしながら、ずっと考え事をしていた。
やる授業の内容は、皆学年がバラバラだというのなら学校では教えてくれないが役に立つような内容がいいだろう。カミラの授業の合間にしていることと、そう変わりはしない。だとしたら彼が何に悩んでいるのかというと、それはすなわち自分の体の幼さを無理やり変えるかどうかだった。
カミラがやってきた時は、急だったので自分の見た目になんて頓着する余裕はなかったが、人前に出るならそれなりに威厳のありそうな感じになりたかった。せめて精神年齢と肉体が合致してくれればと。
背が低く、声も高く、本当に小さな子どもとして舐められてきたことが星の数より多くある彼にとって、魔法薬で年齢詐称をするというのは盲点だった。お母さんに何度も相談したが、「エルフはそういうものだから、慣れなさい」と言われ続けてきたのである。
母の言う事は正しい。最初の1回を騙せても、これから交友があるたびに薬を飲む訳にはいかない。
しかし興味はあるのだ。成長した自分の肉体がどんな風なのか……。というわけで、小一時間薬品庫の中を踏ん切りがつかずウロウロしていたのである。
棚の方に目をやると、これまで精製してきた薬品類やその材料が目に映る。
「そういえば祭りで使う薬品類って、まだまとめてないよな……」
祭りとは、クロードが言っていた南部の祭りのことである。
鎮龍祭と呼ばれるこの祭りは、古龍が眠りにつき街に平和が訪れたことを祝う祭りだ。
元々この古龍は南部の王城近辺によく出現する龍で、特に人間に危害を加えるわけではなく王城のある小高い山から産出されるクリームドライド鉱石を食べるとまたどこかへ行ってしまうような存在だった。
それが魔法島として半島を移転する時期にちょうど南部地域へ古龍がやってきてしまっていたのである。一緒に転移してしまったのだ。
手なづけて戦争に使用する案も出たが、そう簡単に龍は手懐けられる様な存在ではない。殺そうにも地球側への侵攻で忙しく手が回らない。ということで呼ばれてきたのが北の領主であるジェイミーの母だった。エルフ秘伝の術を凝らした龍を眠らせる魔法薬と、その注入器である魔法具を戦時中にわざわざ開発したというわけである。
1年ごとに魔法薬と注入器を持って南の地域へ赴くのは恒例の行事となっていた。技術と道具を丸々貸し出してしまわないのは、やはりエルフ側の政治的な事情があるのだろう。ジェイミーは母にそれを聞いたことがなかったが、なんとなく察していた。
平和になった現代で古龍を殺してしまわないのは、彼らが絶滅の危機に瀕しているから魔法生物保護団体がうるさいというのもあるが、殺した所でその肉や骨を解体するのは1年を通して行われる一大事業となってしまうというのが大きな理由だ。
古龍の皮膚は鋼鉄をも弾く硬さで、熟練の職人を連れてこなければ解体すら難しい。伝統技術なので古龍が減った今、その術も徐々に失われてきている。殺して放っておいても腐肉は毒を持っているので、環境問題が別に発生してしまう。龍の死体は非常に扱いづらいのだ。
ゲートを南部に増やして、古龍をノヴレッジへ送還することを検討する声は年々大きくなっているが、地球側の保守派がゲートの拡大を渋っていてここ数年話は膠着していた。
そしてそんな問題はいざしらず、といった様子で南部の祭りは徐々に規模をましつつあり、魔法島の一大イベントに名を連ねるようになっていた。人の少ない南部の地域だから、祭りにかこつけて地域を活性化する目的もあるのだろう。珍しく東側との交流もそこで発生しているようだった。様々な政治的なしがらみを持ちながらも、なんだかんだ平和を願う祭典なのだ。
ジェイミーはこの祭りが嫌いではなかった。
まあ今年は、自分が当主の代理として薬の調合、その注入を行わなければいけないので気が重たかったが。
そんな事を考えながら、古龍の眠り薬に必要な材料が全て揃っているかチェックをする。
一応、古龍の眠り薬自体はストックがあり、長期の保存が効くのだが、毎年新しく作ることが通例となっていた。毎年ストックを一本ずつ増やして、スプラウトヴァージュ家に何かがあった時にはこれを開放する決まりだった。
「材料良し、ストック数変わりなし、あとは調合だけ……調合……」
やってしまおうと思えば、リュウムセント病の治療薬……年齢詐称薬の調合もできてしまう。できてしまうのだ。
「ちょっとだけ…………1回試すくらいなら……別に当日使うわけじゃないし…………」
好奇心には抗えないので、ジェイミーは薬を作ってしまうことにした。
薬品庫の隣は薬の調合場所になっているので、すべての材料をかき集め、細かくきざみ、薬研ですり潰し、粉状になったものをエクサフラワーの根から絞った液とかき混ぜ、精製水を投入した後、弱火で20分煮詰める。液の色が黄色になったら完成だ。
それを冷ましてから小瓶に移す。蓋を締めたそれを持ってジェイミーは風呂場へ向かった。身体が大きくなって服が脱げなくなると困るからだ。
カミラは図書室で日課の課題をこなして来たあとだった。読みたい本を数冊両腕に抱えて、自室に戻ろうとしていたところである。東館の居住区の一階の廊下を歩いていたところ、不審な人影を前方に目視した。
身長が180㎝はあろうかという男は、上裸のまま腰にバスタオルを巻き付け赤くて長い髪からポタポタ雫を垂らしている。
「ふ、不審者!?」
カミラは本を腕からバタバタと落とした。人の家の風呂場を勝手に使う不審者が居るのかと驚きである。ジェイミーから、今日客人が来るなんて話も聞いていない。ポケットから慌てて杖を出そうとするも、慌てた声にそれを制止される。
「ちがっ! 不審者じゃない! ぼくだよ! ジェイミー!」
男が振り向くと、風呂上がりでかき髪が揚げられているので顔面がよく見えた。
驚くほどの美男である。シネマスクリーンの中でしか見たことのないような、甘いマスクをした美しい男だった。濡れた髪から雫がポタポタと落ち、肌に乗ったそれはダイヤモンドの粒と見紛うほど。柳のようにしなやかな肢体は青年と少年の中間のような、どこか中性的な線の細さだ。バラ色の唇にペリドットの瞳。出会ってきた人間の中で、これほど美しいと思った奴は居ないなとカミラは思った。そんじょそこらの人間と、レベルが違う。そしてどうしてこんな男がこんな所に居るんだと、疑問に思った。
「ど、どちら様ですか……?」
「だからジェイミー・スプラウトヴァージュ! ここの家主!」
そう言われたことでやっと目の前の男がジェイミーであることを認識する。緑色の目も、尖った長い耳も、赤い髪も彼の特徴に合致している。幼かった目元は鋭敏さが増し声変わりをしていたが、どことなく面影はある。自分より小さくて可愛い顔をしているという感想は抱いていたが、大きくなるとこうも変わるのか。
「薬飲んだんですか?」
「も、ものは試しというじゃないか…………別に違法でもあるまいし」
「服は?」
「あっ」
カミラの純粋な疑問に対して、目の前の美男は顔を瞬く間に赤くする。髪色とおんなじくらい赤いなとカミラは思った。
「と、父さんの服が仕舞ってある部屋に行こうと思ってそれで……」
彼はしどろもどろになって、ぺちゃんこになった長い髪を体の前に巻きつけている。
「早く服着ないと風邪ひきますよ。行った行った」
カミラは落としてしまった本を大事そうにホコリを払いながらかき集める。
正直なところ、男性の上裸を直に見ることは稀である。目に毒だと思った。お父さんはビールっ腹だし、彼氏は居たことなんて無いし。
「ごめんね! すぐ着替えるから!」
ジェイミーはカミラの進行方向の先の角の部屋に急いで入っていった。そこが彼の父の部屋なのだろう。
カミラは腕時計を見て時刻を確認する。
「……明日の21時までアレと一緒にいるのか」
普段と外見が違うジェイミーにどう接したらいいのか、カミラは大分戸惑っていた。